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2014年1月3日金曜日

何だ、そうゆうことだったのか!

腑に落ちた。どうあがいても、一向に浮上する気配すら感じられない。そんな思いで耐える日々。思い起こせば、20年前にも同じようなことがあった……そのことに気づかされたのは、家人にせっ突かれて訪れた秦野の出雲大社相模分祠で何気なく目に留まった看板を見て。

厄年? 実は昨年もこの分祠に詣でているのだが、件の看板は目に入らなかった。だから今回が初見という感想なのだが、そこに記された該当年齢の表(僕の昭和27年は今年は当然消えている)を目の当たりにしてしばし唸ってしまった。縁起を担ぐほうではないと思うが、経験的に厄年はあり得ると理解している。

男の大厄の際には初めて内蔵にメスを入れる外科手術を受けたし、ポストバブルの90年代前半はここ数年とよく似た困窮の時代を味わった。僕は、自分でも何故?と思うほど頑ななまでに持論を曲げることがない。時代に合わせて軽妙に立場を変えられる人を羨ましく思うこともあるが、たとえ彼が編集長であろうが大企業の役員であろうが、意見を曲げてまでお追従をする気にはなれない。

結果として不遇を得ることが分かっていても、なかなかあらためることができない。それが本ブログのタイトル『からだとクルマ』の枕に掲げられた”孤立を恐れず、孤高に陥らず”という、ふつうの人なら(そんなこと書かなきゃいいのに)と眉をひそめる思いの丈にも表れている、と思う。

可愛げのない性格だと我ながら思うが、簡単に変えられるようなら今の心境に至ることなどない。あまりど好かれない”偉そうな”キャラだと我ながら思わないでもないが、間違ったことをしているという実感は本人にはまるでない。それが俺の個性だと客観的に認めるほかはないようだ。

なんだかちょっとオカルトめいた話だが、僕は神秘主義者でもなければ占い好きでもない。ただ、一晩寝ただけの年明けの朝になんだか清々しい気分を感じ、元日、二日と例の恩田川ウォーキングでポンポンと俳句(のようなもの)が浮かんだりした。根拠のない自信がムクムクと湧き上る感じがして、何か良いなあ…と思っていたところへ、この看板である。

都合のいいことはそのまま真に受けて、今年はいいぞ!!と思い込むことにしようと言い聞かせる今日この頃なのだった。

まあ拙い句ですが、FACEBOOKに書いた昨日と今日の木悦(bokuetsu=ぼくえつと読むまあ雅号です)の俳句をば!


元日
あるきぞめ こころはかるく おんだがわ                歩き初め 心は軽く 恩田川

二日

はつはるに みずそらあおく おんだがわ               初春に 水宙蒼く 恩田川