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2011年11月27日日曜日

86(ハチロク)出現!!日本車再生の始まり。

それは「〇月〇日に富士スピードウェイに来ませんか?」一本の電話から始まった。その日は早朝のこんなシーンから始まったのだった。

このクルマの企画を最初に聞いたのはいつのことだっただろうか。すっかり衰えた記憶力のせいで定かではないが、インタビューを受けたのは数年前(2006年頃)だったか。

可能なかぎりコンパクトに、できれば1300㏄、1500㏄前後の排気量でパフォーマンス(動力性能)に依存しない、初心者でもエントリーが容易で、酸いも甘いも知り尽くした練達の熟年にも対応できる。環境負荷を真剣に考えるのなら、西欧近代が陥っている消費不可能な性能の競い合いから速やかに反転する必要があり、単にモノとしてクルマから人(の能力)との関係としてあるクルマを模索するべきだ。

軽く小さく面白く。テーマをシンプルに設定できるLight Weight Sports carは、自由と持続可能性が問われるパーソナルモビリティツールとしての自動車のこれからを考える時に、もっとも有効な解のひとつに掲げることができる魅力溢れるテーマだろう。長くクルマに関わってきた者として、それは十分に検討に値するものだとかねてから構想を練ってきた。

お前が望むスポーツカーはどんなものか? 問われて、そのような持論を踏まえた理想を述べたことを思い出す。相前後して、トヨタとスバルの資本・業務提携が発表されていた。朝日新聞が『トヨタがスバルの水平対向エンジンを搭載するスポーツカーを開発』というスクープを報じたのは2007年のことだったか。それを追うようにBC誌がトヨタ・ボクサースポーツの可能性を報じ、それについてのコメントをD誌に求められ「それはない」と答えたのは、先のインタビューの件があったからだった。

ところが、2007年9月にIAAフランクフルトショー取材に出掛けた帰路、偶然空港のロビーで件の担当チーフエンジニア(CE)とばったり遭遇した際「ヨタハチ(トヨタスポーツ800)というのはどうですかね?」謎掛けのような問いかけをされて、得心した。トヨタの歴史をひもとくと、クルマの生命線となるパワートレインを自前で賄わない場合、身が入らないことが多く、成功例は少ない。トヨタとスバルのコラボに懐疑的だったのはそういう経緯を踏まえてのことだったが、2009年の東京モーターショー(TMS)でFT86コンセプトは現実として姿を現した。

あれから2年。今年に入ってジュネーブで当初のFT-86コンセプトからFT-86Ⅱコンセプトへとコンセプトの段階でモデルチェンジを行い、ニューヨークでサイオンFR-Sコンセプトを発表したあとは上海、IAAフランクフルトと進展を見せることなかったが、TMSが迫った10月に入って急に動きが慌ただしくなってきた。

IAAではニュースがある……そう聞かされて勇躍乗り込んでみたら何もなし。ガッカリして帰国すると、やおら電話があり富士スピードウェイに来いという。テストの模様を取材させるということだったが、いざ駆けつけると2時間たっぷり乗って良いと言う。6速MTとサイオンブランドと思しき6速AT。いずれも左ハンドルで、ディテールをマスキングで擬装した試作車だった。

タイヤは215/45R17サイズながら、銘柄はミシュランPRIMACY HP プリウスに装着される低転がり抵抗モデルであるという。タイヤに依存しない開発。詳細については正式発表を待ってもいいと思うが、FRの基本に立ち返り、パワーに過度に依存せずに低重心と軽量コンパクトで直感的にハンドリングを楽しめるクルマ作りを目指したと言う。その狙いとする走りについてはこの動画を見ていただければ一目瞭然かもしれない。僕がドライブする86のステアリング操作を捉えたインカー映像である

富士スピードウェイ初試走の終盤、多田哲哉CEにステアリングを握ってもらい、車上インタビューを試みた。試乗した印象を踏まえていくつかの質問を行っている

さらに、今回の約2時間に及ぶテストの後に行われたプレゼンテーションの模様をご覧いただく。イントロダクション車両概要の確信部分、そしてエピローグともいえる余談です。じっくりお楽しみください。
http://www.youtube.com/watch?v=Tzie8nmkEg4

2011年9月20日火曜日

ステアリング一枚革巻きの”心”


人間の身体で、その機能が失われるとクルマの運転が不可能になる器官は何だろう? 

唐突な質問ですが、答えはあきらかに「眼」でしょう。視力なしに自動車を走らせることはできません。目からもたらされる情報はそれほど重要で、量的にも圧倒的なものがあると思います。

他では補えない視覚情報は、間違いなくドライビングを可能にする前提条件。目で見える事物からより多くの情報を把握し、それを的確に判断、処理する能力があるかどうか。

それらは多分に才能の範疇ですが、経験や知識によってもドライビングの質やスキルの水準は異なってきます。

我々は経験的にそのことを学んでいますが、クルマを運転する上で『情報』はまさに欠くことのできない重要なファクターとなっている。

では、眼の次に多くのドライビングに関わる情報を得る身体のパートはどこ? いろいろな意見がありそうですが、僕の考えるところでは「手」、ステアリングを握るハンドです。

ここで少し脱線します。クルマは、人とメカニズムが一体となることで動くことが可能になる。いわゆるマン-マシン・システムです。しかし、クルマとして走るにはそれだけでは十分とはいえません。生成りのマン-マシン・システムは、人間のエゴがメカニズムのパワースーツを着ることによって強化されたような存在ですから、そのままでは社会の混乱を招く厄介者になる可能性が高い。

道路などの走るためのインフラや法整備をはじめとするソフトウェア(要するに走る場=フィールド)が整わないと、自由なパーソナルモビリティというクルマの根源的な魅力を手にすることはできない。

クルマは、ヒトとクルマとフィールドが重なり合うマン-マシン-フィールドの”三重のシステム”と捉えることで、初めて現実感のある存在になる。この視点は、常にクルマ好きであろうとするなら、片時も忘れてはならない基本認識だと思います。

自動車は『人・道・車 三重のシステム』・・・・字面の良さから好んで使う語呂合わせですが、僕は常にその考え方を批評・評論・評価の核にしています。

そこから導き出されたのが、三重のシステムの起点となるマン-マシン・システムにおいて、直接ドライバーがクルマと接する装備の重要性です。それをインターフェイス(境界面)という雰囲気を伝える言葉で表現することを思いついたのが20年ほど前。この話は何度も繰り返しているので古くからの私の読者には耳タコかもしれません。

人とクルマの接点インターフェイスのなかでも、ドライビングに関する情報をもっとも多くもたらしてくれるのがステアリングホイール、平たく言うとハンドルです。現在では油圧や電動モーターを介したパワーステアリングが一般化していますが、結果としてフロントタイヤに直結して路面状況や走行状態を伝えてくれるのは円形が基本のステアリングホイール以外にありません。

走る・曲がる・止まるの各状況を絶え間なく伝えると同時に、こちらからもその情報を元に最適な操作を行っていく。切れ間のないインプット/アウトプットの関係。

文章にすると時間軸が錯綜して話が難しくなりますが、視覚に次ぐ圧倒的な情報量をシンプルな円運動の中に押し込んで伝えてくれるステアリングホイールは、機能面はもちろんデザインや官能性能という視点からも、もっと注目されていい重要なパーツです。

手は、運転中ステアリングホイールに添えられ、ほとんど離れることがない。ステアリングインフォメーションは、タイヤの評価を語る際に用いられるようになった機能をイメージとして伝える的確な表現ですが、手から入る感覚としての情報は直接脳に伝えられ、瞬時にフィードバックされています。

常に触れられていることが眼に次いで走りに関する情報量が多い所以ですが、この手というのがまた人間そのものといった面白さに溢れている。

指先には多くの神経が走り、繊細な動きにも対応する。個人差としての器用不器用はあるにしても、小さな物を摘んだり、皮膚感覚を頼りに様々な道具を操ったり。非常に敏感なセンサーとしての機能を備えている一方で、普段ステアリングを握る手をことさら意識することは多分ないと思います。

実際には、触感レベルでステアリングの革巻きの表皮とか縫い目(ステッチ)、ステアリングのグリップ(握り)径やデザインなどを敏感に感じ取っているはずですが、ハンドルを切る→曲がるという機能に注目する結果、ステアリングを通り越してタイヤやサスペンションの動きに意識が集中してしまう。

繊細さと鈍感さが同居しているということですが、鈍感さの前に鳴りを潜めることになる繊細さは常に潜在意識の中で感じ取っている。僕はこの触感に注目します。ここで気持ちよくさせてもらうと、評価に決定的な影響を与える第一印象(first impression)は好感(positive)に傾きます。

ハンドリングというと、タイヤを中心とするサスペンション、シャシー、ボディが織りなす動的性能(dynamic performance)に目が向きがちですが、高性能という言葉が使われる領域のほとんどがスピードが大きく関わる高い次元の話。遵法精神の強い日本の大多数のドライバーにとっては容認しがたい非現実的な世界であると言い切ることができます。

メディアで語られるスポーティという言葉遣いのなかにある高性能は、現実ではあるけれど、それを消費しようとした瞬間に多くの問題が噴出するという意味で仮想現実(virtual reality)ということになってしまう。それは実際に経験すると非常に魅力的なものですが、建前上使わないことを前提にした高性能を、世界中の自動車メーカーが競い合っている。ここは21世紀のこれからのクルマを考える上で重要な視点でしょう。

ハンドリングという、ともすると限界領域を含むダイナミック・パフォーマンスがテーマとなる話の手前にステアリングフィール(steering feeling)、文字通りハンドルから伝えられる感覚があります。

その多くはステアリングホイールに加えられた出力に対してタイヤが反応し、路面からのフィードバックが反力の形で入力が手から脳に伝えられさらに……というループを構成する。

それは、ダイナミクスそのものであるわけですが、スピードや重力加速度(G)の大小に関わらないところで触感(touch)レベルで評価できる世界がある。先述の手の敏感さと鈍感さの産物でもあるステアリングホイールによく施される革巻きの革の材質やその縫製、基本となる骨格、グリップ形状などで好印象を得ると、評価のベースが最初から高いところに来て機能部品やメカニズムに好影響を及ぼす場合が多い。

僕は、レースを始めた20代前半の1970年代にそのことに気がつきました。当時はステアリングホイールなどの機能部品を市販のお気に入りブランドに換える自由がありました。モモやナルディの革巻きアルミ3本スポークは、小径で軽量で上質な革が使われていた。それに付け替えるだけで、雰囲気が変わると同時に、ハンドリングも改善された印象がありました。

バブルのピークだった1989年は高性能スポーツのビンテージイヤーですが、同時に好ましい本革巻きステアリングホイールでもありました。当時はまだSRSエアバッグの法律による標準化もなく、個性的で好ましいタッチのステアリングが数多く市場に出回りました。

慣性モーメントやアンバランストルクは、クルマのハンドリングを語る上でけっして小さなファクターではありません。エアバッグが法制化される以前のメルセデスベンツのように大径を基本に慣性重量を折り込みながら、あえてラック&ピニオンではなくリサーキュレーティングボール式を採用してトータルバランスを追求するメーカーもありましたが、エアバッグ普及後の現在では偏心による慣性モーメントやアンバランストルクを問題視する意見は聞かれなくなっています。

唯一ここにチャレンジしたのがホンダです。ホンダは国内メーカーではいち早くレジェンドにエアバッグ装着車を設定(1987年)したパイオニア。ホンダの北米市場での成功と重なる話ですが、当時のFMVSS(連邦自動車安全基準)の動向をいち早く捉えての先行でした。

後にホンダはSRSエアバッグを備えても真円のリムの中心に回転軸が来て、ステアリング操作が偏心することなく行えるステアリングホイールで特許を取得しています。現在はそれに相応しいスポーツモデルが不在なので話題に上ることはありませんが、ホンダはステアリングに対するこだわりを理解する数少ない国内メーカーといえるかしれません。

僕が革巻きステアリングホイールの一枚革に拘るきっかけとなったのは、1998年に登場した2ℓFRスポーツセダン アルテッツァ(LEXUS IS200)の購入でした。それまで1986年からずっとメルセデスベンツ190E(5速MT)を乗り続けていたのは、コンパクトなFRセダンがクルマの基本と考え、その教材として当時まだ高値の花だったメルセデスに学ぼうとした結果。国産で2ℓ級のコンパクトFRセダンが登場したら、即切り換えると広言していました。

1998年春のジュネーブショーに突如登場したLEXUS IS200は、同年10月にはアルテッツァの名で国内導入となりました。期待のコンパクトFRセダンは、しかし多くの問題を抱えていました。最大のものは元来プレミアムブランドのエントリーモデルとして開発されたのに、内外装や走りのクォリティ(質感)に詰めの甘さを欠く点でした。

4ピースでグリップ部分を銀色としたステアリングの革巻きは、革の素材はもちろん縫製についても悪しきトヨタのコスト至上主義によって、クルマのコンセプト全般を台無しにするほど貧弱なレベルに収まっていました。

エンジンをヤマハ、トランスミッションをアイシンAIに委託するなど、トヨタの基幹モデルではほとんどありえないセットアップという点でも、トヨタがレクサスIS(アルテッツァ)に賭ける意気込みはもうだったわけですが(この点はパワートレインのみならず、開発/生産のほとんどをスバルに委託している期待のFRスポーツFT86にも共通する危惧ですが)、ドライビングダイナミクスを語る以前のドライビングインターフェイスのクォリティに僕はガッカリしていました。

そこで、アルテッツァの片山信昭チーフエンジニア(CE)に、「騙されたと思って、ステアリングホイールの革巻きをタッチの良い一枚皮で縫い目にもこだわって巻いてください」拝み倒して一品物を作ってもらった。同時にCEのアルテッツァにも用意されたと聞いたが、実験部で評価してみると「なるほどお前のいう通りだ」ということになり、後にLパッケージ用の装備として一枚革巻きのステアリングホイールがカタログに載ることになった。

このアルテッツァは、ステアリングだけでなく、5、6速を高速仕様のギア比に改め、硬すぎる足回りを乗り心地にも気を配るセットアップにするなどの手が加えられることになったが、2003年のプリウスⅡ登場を機に乗り換えることになった。下取りに出した後のことは分からないが、多分まだあの特別仕立てのアルテッツァは日本のどこかを走っているはずだ。

このアルテッツァが登場の約半年後の1999年4月、ホンダが創業50周年記念モデルとして前年に発表したS2000が正式発売となった。ホンダとは長い間FFvsFR論争を闘わせてきた間柄であり、もしもFRスポーツを作ったとしたらこれも手に入れるしかない……行き掛かり上そういうことになっていた。

S2000は、先述のホンダ製真円ステアリングホイールを装備していたが、革巻きがグリップ部にディンプルを配した、これまた質感に乏しい4ピースだった。そこで僕は、少し前に登場していたインテグラタイプRに採用されていたMOMO製専用ステアリングに目をつけた。

このステアリングは、本体はホンダオリジナルのマグネシウムリムの真円がベース。この本体をイタリアのMOMO社に送り、そこからハンガリーの革巻き業者で加工を施し、再びMOMO社を経て日本に再上陸するという、長旅をこなした逸品と言われた。

ステアリング本体とSRSエアバッグのドッキングに苦労させられたとのことだが、このステアリング一本でS2000のハンドリング評価は軽く数ポイントは向上した。

高度なスキルと豊富な経験が求められるハイレベルなハンドリング評価とは違って、ステアリングホイールのタッチをベースとする官能評価は、それこそクルマに触れるすべての人がそれぞれのレベルで判断が下せる身近なもの。

仮にそれがポジティブであれば、その段階でクルマの評価は好ましい方向に傾く。その上でシャシー/ボディの仕上がりが高ければさらに評価は好印象を深めることになる。ほとんどのユーザーが試すことのできない領域の評価を得々と語ることに異論は内が、順序から言えばどこを指摘すべきから自明だろう。

ハンドリングを含むドライビングダイナミクスのみならず、クルマの評価の大部分はデザインの範疇に属すると僕は捉えている。評価するドライバーが、主観的にどのように感じるか。それを何㎞/h、何秒の数字に置き換えて客観性のあるデータと見なそうとするところに、現在のクルマの現実との乖離があるのではないだろうか。

ともすると、エンジニアとかテクニシャンという人種は、自らの高度な技術や知識に過剰なプライドを抱く傾向にあるが、それらは伝わってこその魅力だという現実に目を向けるべきだろう。手で触れた先にある遥か上の話の前に、ハンドルに触れただけでその気にさせる。そのくらいの色気を理解しないで、何のクルマ作りか。日本には正しいクルマは多いが、気持を揺さぶるセクシーなクルマがほとんどない。作り手は、ここに大いなる反省の念を抱くべきだろう。

ステアリング一本で、世界が変わる。真面目な日本メーカーのエンジニア諸君。騙されたと思って、一度やってみて。その上にいる各社のエグゼクティブ諸氏へ。宝の山はこの辺に隠されているかもしれないので、そういう提案をつまらないコスト評価で切り捨てないように。コストダウンよりもバリューアップ。これからの日本メーカーが真剣に磨かなければならない最重要課題だと心得ます。

2011年8月24日水曜日

身体(からだ)と車(クルマ)


80年代の前半にタイヤの高性能化が始まった。1983年の9月からだったと記憶するが、当時の運輸省がそれまで乗用車の標準装着タイヤがアスペクトレシオ(偏平率)70%までに限られたところを見直し、60偏平のロープロファイルを認可することになった。

その情報を受けて、当時リプレイス(補修市場)用に流通していたすべてのブランド/銘柄のタイヤをある自動車専門誌に短期集中連載の形で請け負うことになった。

ハイグリップを謳ういわゆる高性能タイヤは、1978年に先頭切って世に送りだしたヨコハマ(YH)・アドバンと少し遅れて登場のブリヂストン(BS)・ポテンザが登場していたが、当初は認可の関係で70シリーズ。

ロープロファイルのスポーツタイヤといえば、インチアップコンセプトという画期的なアイデアで世界を席巻したイタリアのピレリP7の独壇場で、その後爆発的な進化を遂げる国産高性能タイヤはその背中を見ることに甘んじている段階だった。

まだ、タイヤについて確固たるテストモードを持っていたわけでも、十分な技術情報を得ていたわけでもない時代。僕は自分なりに考えてテスト項目とその方法を編み出し、何ヶ月かに及んだ連載をなんとかまとめ上げた。

タイヤをグラビアで10頁近いボリュームで連載する。当時としては画期的で、タイヤ評価をこなせるプロフェッショナルもメディアに近い者の中にはほとんどなかった頃。ちょうどその時に関西に新しいスポーツタイヤブランドを立ち上げるプランをもったメーカーがあって、その企画担当者の目に僕の名前がとまったらしい。

代理店を通して呼ばれ、いろんな経験を積む中で知り合ったのが明治大学の哲学教授の市川浩先生だった。身体論という考え方から書かれた『身の構造』という著書で知られる。当時すでに僕はFRにかぎる派になっていた。

先に触れたタイヤの短期集中連載で改めてドリフトを中心とするFRの走りの面白さ魅力を確認し、その立場からそのタイヤメーカーの人々に対峙することにしていた。

何かの取材の際に、市川先生と話すことがあって、「あなたの考えているドリフトとかFRという話は、異端に捉えれることがあるかもしれないけれど、あらゆる業界業種で、そのような今主流ではないけれど、新たな胎動は生まれています。自信を持っていいと思います」と励まされたことがある。

FRの魅力は、人間の身体に近いところにある。よく馬を例に挙げて「馬は後ろ足だけでなく、前足でも地面を蹴っている。自然界では4WDがノーマルな駆動レイアウトなのだ」という意見を聞いた。クルマはよく馬に例えられ、『人馬一体』という表現が説得力のあるレトリックとして用いられることがあるが、基本的な認識として誤りがある。

クルマは、動物として自らの意志を持つ別の生き物の馬とは違う。人がクルマに乗るというのはどういう状況か? この点については、市川先生が身体論の地平から考え出した人とモノとの関係を表す例えとして教えてくれた二つの話が今もなお記憶に鮮明に残っている。

まず、紙を切るハサミと人の関係。想像でもいいけれど、もしも近くにハサミと紙があったら読みながら確認してみて下さい。ハサミを手指に収め、紙を切る。ジョリッという切れ味を意識しながらということになると思うが、そのジョリッという感覚は、あたかもハサミを操る指がハサミの刃先まで伸びて"直に紙に触るような感覚を覚えながら"切っているはずだ。

この時あなたの身体はハサミの刃先まで伸びている。身体が拡大あるいは拡張している。人と人が操るモノとの関係は常にそういう状況にある。歩いていて泥濘(ぬかるみ)に足を取られた時、グニュッという感触を得るはずだが、その時の感じ方は、あたかも"足裏が地面に触れる靴底
まで伸びて、直に踏んだのと同じ感覚"でぬかるみを捉えている。

人とクルマの関係で言えば、ドアを開けドライバーズシートに収まった瞬間、あなたの身体はクルマの四隅まで伸び、ステアリングやABCペダルやシフトや各操作スイッチ類、視覚的な接触としてのメーター類……それらを僕はINTERFACE=インターフェイスと呼ぶことにした。今では誰もが普通に使うが、1980年代末に日立がCMで使い始めた便利な言葉をそれ以前にクルマで使った者はいない。

全長10mの大型トラック/バスを運転できるのも、この身体感覚の拡張というメカニズムによって可能になる。いきなり最初から対応できることは稀だが、学習によってドンドン感覚が拡大することは、誰もが経験とともに学んでいるはずだ。

FRの魅力は、クルマというハードウェアのシステムに人間の身体(からだ)が容易に馴染み、身体機能を拡大させやすいというところにある。
重量物のエンジンが前。駆動輪は後ろで、前輪は方向づけなどの運動のバランス取りに徹する。エンジン、操舵輪、駆動輪が並ぶその状態は、
ちょうど人間が伏せた形に重なる。

頭、手、足(その前に胴)が並費び、駆動輪が左に横滑りすれば、正常な三半規管とバランス感覚の持ち主なら、反射的に滑った左方向にステアリングを切ってバランスを取るはずだ。

スピードを優先し、他者よりも速く走ろうとすると、全部で5つしかない駆動レイアウトはすべて同じ方向でセッティングを詰めて行くことになる。レイアウトの特性による有利不利はあるけれど、セットアップはいずれもレコードラインをニュートラルなバランスでトレースさせる。勝ち負けは面白いけれど、本来の目的であるFUN TO DRIVEをリアルワールドで楽しむことは難しい。

日常生活の中では許されていないスピードに価値を置き、その優劣でクルマとしての出来を問う。これは厳しいだろう。技術が未熟で、超高速が夢だった時代ならそれも悪くはないが、すでに市販車で300㎞/hは現実になっている。しかし、そのスピードを制限なく楽しめる国はこの地球上には存在しないのだ。

スピードをある程度下げても、動きの面白さ、操る楽しさが残る。エネルギーミックスが進み、次世代自動車が幅を利かせるようになっても、ある一定以上の比率で絶対に純内燃機関のクルマは残る。その特長・個性を活かそうというなら、クルマは絶対にFRでなければならない。

機能・性能・パッケージングにこだわるなら、FFもいい。厳しい日本の冬道なら4WDは欠かせないだろう。でも、FRで間に合う地域に暮らす者なら、しかもクルマの走りを何よりも好むというなら、クルマはFRにかぎると言わなくてはいけない。

クルマは、単にメカニズムなどのハードウェアに人が乗るのではなく、人の身体がクルマの隅々まで"伸びて" 自分自身が走っている。認識を変えれば、そこに行くのが当然。クルマはFRでなければならないのだ。


2011年8月20日土曜日

LEXUS GS350 PREPROTOTYPE(pics)

19日にエンバーゴが解けるのをうっかりしてました。まあ、driver誌の取材で行ったネタなので、ここはまずそのPRに専念。詳細レポートは誌面でよろしく、ということで。写真15枚ほど貼ります。後ほどここにも書き下ろしの記事をアップする予定です。

2011年8月19日金曜日

さらに道路について

トヨタはFT86のために『道』を作った 
クルマを作るのは"道"だ。自然環境によって形作られる様々な道路のありようが、クルマの走りの個性となって出現する。昨年ドイツで不慮の事故死を遂げたトヨタのマスタードライバー成瀬弘の持論であり、今もなおトヨタの新たなるクルマ作りに色濃く反映されている遺訓である。

最新のニュースとしてFT86関連をひとつ。1980年代のハチロク(AE86カローラレビン、スプリンタートレノ)のイメージを21世紀の現代に再現する試みとして、2011年末に登場が予定されているFRスポーツカートヨタ86は、北海道・十勝管内にあるアイシン精機の試験場(約748ha)内に、FT86開発専用の『道』を作り、このクルマならではの乗り味に磨きが掛けられているという。テストコースの件は開発チーフエンジニアから直々に聞いた話だから、信憑性に問題はない。(また、現時点ではFT86コンセプトだが、正式車名はトヨタ86=ハチロクに決まった模様である)。

思い起こしてみれば、第一次オイルショック(1973年)までの日本で外車といえばアメリカ車を指した。大きなフルサイズボディが一般的で、その乗り味はボートと評されるフワフワと柔らかい大陸的な感覚が主流となっていた。

何故そうなのか? 答えは太平洋を挟んだ対岸のカリフォルニアを走れば分かる。今でも極端な起伏がなく、ゆったり走りたくなる開けた地形を行くフリーウェイを走ると、あの乗り味も悪くなかったのでは?資源や環境問題がタイトになった現在では、ポジティブに捉えることが難しいが、時折懐かしく思い出すことがある。

もちろんカリフォルニアだけがアメリカではないが、全米50州の内のいくつかを走った時に共通した実感だ。当時のアメリカ車は、まさに広大な国土を走るアメリカの道が作り上げた個性に満ちあふれていた。70年代のアメ車を知る者なら共有できる感覚だろう。

情報技術の発達によって、あらゆる情報が瞬時に地球の隅々まで行き渡るようになり、航空機のた大衆化によって人の移動も国境を楽々と越えるようになった現在。人・モノ・情報のグローバル化が進み、価値観の均質化が急速に広まった結果、世界中のクルマが同じような方向を向きつつある。メディアの一員として情報空間に身を置き、世界の主だったモーターショーの現場を踏んでいると、そのことを肌で感じることが多くなっている。

しかし、その一方で、それぞれの大陸ごとに異なる環境に根ざした嗜好はそう簡単に変わらないし、廃れない、というのもまた実際に世界を飛び回り、直に各地を訪れて得た実感だ。日本人の多くは目の前にある日本の現実がすべてで、基本的に役に立たない海外の状況には無頓着であるように見える。諸外国も大体日本と同じようなものだろう‥‥日本の常識で判断することが多く、積極的に彼我の違いを知ろうとはない。

発表報道中心のメディアは、直接政府批判になる海外からの情報はなるべく避け、当たり障りのない政治や経済や事故などのニュースを流すに留まっている。これを"無難の追求"と看破した有名評論家がいるが、事実を報告してより良い世の中を追求するより、誰からも文句の言われない保身が根っこにあるという見方は言い得て妙だろう。既得権益を守り、現状維持に汲々とする。政府を内外の自動車メーカーに置き換えても、その構図はほとんど変わらない。

●ヒトラーをパクったアイゼンハワー
ヨーロッパは‥‥というより現在のEU諸国は、多様な価値観を持つ独立国が経済を中心に連合を組んだ実験的な連邦の枠組みだ。1998年の通貨統合(ユーロ)によるEU発足から13年。ひとくちに欧州というが、市場統合後も多様性にいささかの陰りもない。多くは地形や地勢によって積み重ねられた民族の歴史による差異といえるが、自動車を生産する国々を訪れ、その道路を走り回るとその国のクルマの個性に納得することがある。

ドイツ車は、ドイツの環境が育んだドイツ人気質の賜物。アウトバーンはヒトラーの政策によって建設が始まった世界初の自動車専用高速道路網だが、今日まで続くそのシステムは、自動車は走る道路と走らせる人との三位一体で性能を語る必要があるという、いかにも哲学の国らしい物事を本質から考える民族性の賜物と考えるのが自然だ。(この辺の話は、僕の持論でもある『クルマ=人・道・車の三重のシステム』にも重なります。いずれここで詳述することにしましょう)

第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で連合国最高司令官となったドワイト・アイゼンハワーは、戦後の1953年に第34代アメリカ大統領に就任。その歴史に残る業績のひとつに1956年の連邦補助高速道路法の承認があった。州間高速道路、いわゆるインターステートハイウェイの建設はこの法律に基づいて始まり、10年で全米をカバーする高速道路網が完備されることになる。

今日見るアメリカを象徴する壮大なフリーウェイの景観は、実は第二次世界大戦後に米国史上最大級の国家プロジェクトとして生み出されたものだった。その背景には軍人出身のアイゼンハワーが戦時中に経験したクルマによるアメリカ大陸横断(約2ヶ月を要したという)と、ヒトラーによって建設が進められたアウトバーンの機能を実地に知ったことがあった。

現在のフリーウェイがアウトバーンにインスパイアされた‥‥クルマを発明した国とモータリゼーションを生み出した国という独米の歴史的な経緯からすると、逆のイメージを抱かせるものがあるが、事実は時の大統領が自らの経験を元にリーダーシップを発揮し、国のあるべき姿を指し示した。

共通するのは、アウトバーンもフリーウェイも無料を前提とした高速道路システムであるということ。ともに連邦共和制を採り、州単位の地域分散が図られ、巨大都市への集中を慎重に避けながら、国土の有効利用を目指している。マンハッタンを中心とするニューヨーク市のようなメガシティは全米でも稀だし、ドイツ最大都市の首都ベルリンでも市域全体で東京都の半分以下の500万人、屈指の経済都市フランクフルトでも市域全体で70万人足らずのスケールにとどまっている。

●日本の高速道路は無料じゃないと意味がない
無料を前提とした高速道路システムであるということは重要だ。当然のことながら、主だった一般幹線道路とは直接アクセスが可能なようにインターチェンジやランプウェイが設けられている。アウトバーンでもフリーウェイでも、そして日本がもっとも参考にすべき島国で左側通行の英国のモーターウェイでも、当たり前のように乗り入れることができて、降りたい道路にそのままアプローチできる。

これが本来当たり前の姿だろう。日本の道路法でも道路は無料公開が原則であるという。日本語なのに読みにくい法律特有の条文を当たってみても、どこにそれが書いてあるのか分からないのだが、とにかくそういうことになっている。

2009年、民主党が高速道路の無料化をマニフェストの大きな柱に据えて政権を奪取して以来、無料化は賛否両論かまびすしい状況にある。無料化を単に通行料の問題と捉え、財源やら交通渋滞に掛けて目の前の現金な話に置き換える声も多い。僕の考える無料化は、有料であることを前提にシステムが設計された現状を、文字通り無料を前提とした構造に改め、一般道路と有機的に結びつきながら全国的な高速道路ネットワークを作り上げることにある。

現在の日本の高速道路は、ちょうど整備新幹線が基本的に在来線とは別建てのシステムとして存在しているのと同じように、一般道路とは並列の関係で作られている。インターチェンジは料金を取るために存在し、一定の距離を走らないと降りられないし、また一般幹線道路からスムーズにアクセスできるとはかぎらない。

渋滞に関する懸念については、そもそも渋滞は道路の容量に対して単位時間あたりの交通が集中することによって生じる。その原因は、都市化による人口集中にあり、世界中の都市に共通する問題でもある。渋滞は日本の専売特許ではなく、ニューヨーク、パリ、ロンドンといった大都市周辺でも普通の光景だし、北京も上海もバンコックもイスタンブールもサンパウロも1000万人級のメガシティの現実は東京以上のカオスの状態にある。ローマ市内の絶望的な渋滞に耐えられる日本人はそう多くないはずである。

すでに新幹線状態で7000㎞を超える総延長が作られた日本の高速道路網を、依然として世界一の生産量を誇る自動車大国(世界生産)に相応しい内容に改め、類まれな自然環境に恵まれた国土に相応しいシステムにリデザインする。料金を取るために作られたインターチェンジを、ネットワークとして機能するように変えるのを手始めに、高速道路網を全国ネットで張り巡らし、一般道路とともに使える道路を目指す。

政策の継続を楯に前例主義にこだわり、責任を負うこと避けるために無謬性を貫こうとする。行政官僚に、高度成長、バブルを経て変化した時代に対応するグランドデザインを期待するのは無理だろう。現実を直視すれば、国民の大多数は現状肯定派であり、大きな変化を求めていないようだ。高速道路の無料化論議に際して、財源をどうするとか渋滞が悪化して困るという意見がもっともらしい響きとともに語られるのはその一例だろう。

財源はあったし、いまでもあるはずだ。3年前の5月13日、道路特定財源制度を廃止し、平成21年度から使途に制約がない一般財源とすることが閣議決定された。すでに道路は十分整備されたという評価が前提となった結果だが、これは英米独といった自動車先進国でステアリングを握った者には納得が行かない。

日本の道路が、モーターウェイ、フリーウェイ、アウトバーンを中心にした英米独のそれと肩を並べられる水準にあるか? この点については自動車専門メディアに属する者は反省すべきだろう。海外の試乗会に招かれても、語られるのは別世界ともいえる走りのパフォーマンスの話ばかり。無料で走れる質の高い道路の存在に言及しながら欧米におけるクルマ評価の現実に迫るのは稀だ。

そんなことを書いても招待元のメーカーには喜ばれない。与えられた情報を元に無批判なクルマの魅力を語っていれば、海外試乗会の常連になれる。目線が読者や世間ではなくてメーカーを向いている。僕は80年代中頃から始まったいわゆる輸入メーカーを中心とする海外試乗会に最年少で呼ばれたハシリ。以来100回以上の経験を持っている。

妬心から言うのではなく、もう時代は発展途上段階をとうの昔に過ぎ、坂の上の雲がなくなった成熟期に入って久しい。拠って立つ国はどこかを考え、経験が活きる言動が求められている。そのことに気がつかないと、メディアとして市場価値を失う。そういう視点を持たずに、渋滞が増えるから高速道路の無料化には反対という、既得権益にしがみつく官僚と同類のセンスを吹聴する者の気が知れない。

●日本の道路でつくってこそ日本車なのだ
自動車産業が許認可事業であることは多くの知ることだと思う。最近よく話題に上るのは、日本では正式発表前には一般公道を走ることが許されていない、ということ。海外では、覆面をしたり唐草模様のシートを貼ったりした偽装でテストしている模様がスクープされたりするが、お膝元の日本では御法度だ。時折国内試乗会でセットアップが外れたクルマが出てしまうほど事態は深刻な状況にある。権限を笠に着た官僚統制が、日本の基幹産業の手かせ足かせになっている。

頼まれもしないのにアウトバーンやニュルブルクリンクに押しかけて、他人の庭で俺の方が速い凄いという不思議な光景は、立場を入れ換えたらその異常性が分かるだろう。韓国や中国のクルマが鈴鹿にやって来て、コースレコードを記録したら諸手を挙げて祝福するだろうか? 韓国や中国のクルマを卑下しているのではなくて、奇妙な欧米崇拝と舶来上位主義に違和感を覚えるのだ。

クルマは道が作る。変化に富んだ自然環境に恵まれ、技術力も世界に誇れるレベルに達している。日本と日本のクルマにはまだまだ伸び代はあると思う。高速道路を中心に道路ネットワークを整備し、極度に集中しすぎた大都市を徐々に分散させながら、バランスの良い国作りを考える。大きなグランドデザインの発想で再起を図る必要性がある。

現在の高速道路は、基本的に江戸時代の五街道と同じ発想で作られている、と思う。参勤交代のための街道のように、大都市と地方を結ぶ物流を目的にした放射道路がほとんどで、地方と地方を結びつけて地域を活性化するようにはなっていない。

ネットワークとして機能していてないこともそうだが、道路の名前が東名やら名神やら中央やら東北自動車道といった具合に、日本人なら違和感なく分かるけれど、漢字に親しみのない国の人々には例え英語表記があってもピンとこないだろう。

アメリカのフリーウェイのI-405(インターステート405号線)のように数字の偶数(東西)奇数(南北)で方向、桁数でグレードを表したり、ドイツのA5、B38のようにシンプルにアウトバーンとブンデスストラーゼ(連邦道路)と分けたり、イギリスのM-1=モーターウェイ1号線のように分かりやすい表記にしたほうが直観的な判断が求められるドライビングという行為を考えたときに望ましい。

日本の高速道路は、料金を取ることを前提に設計されている。そのために一般道路からのアプローチの際にに隔たりを感じさせる独特の構えとなっている。インターチェンジの多くが基本的に分かりにくい構造である上に、世界でも飛び抜けて高い通行料を取る料金所の仕組みが難関だ。

外国の有料高速道路は、慣れている僕らにとっても緊張するスポット。フランスのオートルートは、ユーロで統一された現在は混乱しにくくなったが、基本的に英語に慣れた頭にフランス語はプレッシャーとなる。中国ではまだ運転の機会はないが、簡体漢字の標識は近くて遠い難解さ。そこを走るイメージが、多分多くの外国人が日本を走る時に味わう感覚ではないだろうか。

国交省やNEXCO自慢のETCも、貿易の非関税障壁に匹敵する外国人旅行者を阻むシステムだ。NEXCO東日本が7~10月までの北海道という期間/エリア限定のサービスを行っている他は一切なし。中国の実情を知る日本人の多くはあの環境では走りたいと思わないと言うが、外国人にとっての日本も同じかそれ以下だろう。

10年前に構想されたETCのデファクトスタンダード狙いも、高い料金制度を前提にした大がかりな仕掛けでは勝負にならず、すでに世界標準から外れてしまったようである。高コスト体質である自覚のないシステムを高性能だからという理由だけで押し通そうとする。

世界を知らない日本人には通じても、コスパの中身を問う外国には相手にもされない。内向き志向による完全なるガラパゴス現象。変化した時代への対応を怠り、あくまでもオレ流を貫こうとする日本の官僚システム任せていていいのだろうか?

中国に抜かれたとは言ってもなお世界第三位の経済力を持ち、自動車の世界販売ではトップシェアを維持しているこの日本が、なぜにかくも貧弱な道路システムに留まっているのだろう。官僚の優秀性を語る者は多いが、それは虚構だろう。

高度経済成長期から脱オイルショックの1980年代前半までは世界情勢の後押しもあって上手くいっていたが、プラザ合意(1985年)以降はやられっぱなし、見込み違い、過去の過ちを認めず先送りにして傷を深くする……の連続だったのではないか。

本当なら、とうの昔に国民の怒りが爆発して不思議のないところだが、政府の広報機関と化した新聞TVの既存マスコミが無難を追求する技に磨きをかけ、長い間国民を真実から遠ざけてきた。その現実が白日の下に晒されることになったのが、3.11東日本大震災に伴う原発災害の報道だろう。

依然として政府に信任を置く国民が大多数を占めているようだが、疑いを抱く人々の比率は徐々に高まっているように思う。クルマや道路の話に関心のある若者は、どうか海外に出て行って、その目で確かめてほしい。何が語られ、何が語られていないか。自動車メディアが抱える問題は、既存マスメディアのそれと変わらない。

道路特定財源の一般財源化は、質の悪いジョークの類ではないだろうか。特定財源や目的税は、近代予算原則のひとつ「ノン・アフェタクシオン(非充当関係)の原則」に反するという。調べていく過程で知ったことだが、そもそも自動車に関わる道路のための課税ということで納得していたものを、すでに道路は十分足りているという机上の空論のような話ですり替えるのは問題だろう。財政の硬直化や既得権益化を招くという懸念は国交省内部の問題であって、チェック機能が働かないシステムこそが問われるべきだ。独占的に情報を得る立場にあった記者クラブは何をしていたのか。

●自由な道路が豊かなクルマを生む
運転免許を取得して41年。ライター稼業に入ってから33年。これまで日本の47都道府県すべてを(通過を含めて)踏破している。冬の北海道から九州・長崎一泊36時間往復(笑)という荒技まで。走った印象を端的に述べれば、日本の自然環境は世界に誇れる豊かさと変化に溢れている。美しい景観は世界中に存在するが、山紫水明については有数のものだと思う。

ただ、近代以降に人が築いた住居や町並みや道路などの建造物は、豊かな景観に見合うものとは言い難い。東日本大震災の発生2ヶ月後に岩手、宮城、福島の沿岸地域を訪ねた際に感じたのは、よそ者を歓迎しない閉鎖的な感覚。三陸地方の道路整備は地形の複雑さも影響しているのだろうが、過疎地を縫うように細く伸びる対向2車線区間の多い三陸自動車道の景観はどこかデザイン感覚を欠き、福島の浜通りも日本の太平洋沿岸の多くに感じられるwelcomeな雰囲気が乏しい。

もちろん津波によって破壊された町の現実には言葉を失ったが、感じたのはそれとは別のことである。相馬地方の美しい里山を走る国道は、きれいに整備すれば一級の観光資源になると思ったが、そう考える人は少なかったのかもしれない。原発災害に見舞われた福島のこれからは不透明だが、津波が襲った三陸を含むすべての沿岸地域は、道路を含む新しいデザイン感覚で作られる環境に則したモデルケースになればと思う。

発言に不穏当な部分があったかもしれませんが、道路の話は積極的な意見のぶつけ合いがないとなかなか核心に迫れない。クルマ好きの視点は、浮世離れの誹りは免れないかもしれないけれど、現実に囚われて汲々とするよりもずっと未来志向ではないかと思う。この国土から再び世界を驚かせる魅力的なクルマを生み出したい。そのためには、魅力的な道路が欠かせない。

























2011年8月3日水曜日

動遊社設立趣意書

18歳になってしばらくの1970年5月。普通自動車運転免許を取得した。以来41年、ずっと自動車に関わるところに身を置いてきた。当初は、どこにでもいるような単なるクルマ好きで、それほど裕福な家庭ではなかったはずだが、父親はほとんど言いなりの形で一台の新車を買い与えてくれた。

日産のサニー1200クーペGX。たしか昭和45年の6月に追加されたばかりのスポーツクーペで、必ずしもファミリーユースに相応しいものではなかった。決め手は忘れてしまったが、この選択が今に繋がっている。ふとしたきっかけから、20歳の時にモータースポーツという世界があることを知り、挑戦することにした。

振り返れば無謀以外の何ものでもなかったが、無知で一点に集中できる若さがすべてに優った。この突破力こそが時代を動かす原動力なのだと、今確信を持って言える。すでに齢60目前、10代の知識や経験はないがほとばしるエネルギーで未知の世界に踏み出せるあの感覚は期待できないだろう。

しかし、長く経験を重ねたからこそ掴み取ったといえるvisionがある。理想は追ってこその理想であり、実現を夢見てこその目標だろう。クルマという19世紀末に生まれ、20世紀を通じて最大の利器のひとつとして数えられる乗り物の最大の魅力は、自由移動という誰もが求める機能を、五感を総動員して受け止めながら、楽しみ尽くせる。

人間の全身に関わる身体機能の拡大装置……少し厳めしい言い方をすればそういうことになるはずだが、人力の何倍ものスピードと疲れを知らない航続距離がもたらす時空移動は、所有欲から闘争本能までのあらゆる欲望をくすぐる不思議な感覚に満ちている。未だ興味が薄れない。多分死ぬまでそうなのだろう。まだまだ知らぬ事が多く、やってみたいことがあるようだ。

いっぽう、クルマは存在そのものがエネルギー消費に明け暮れるという意味で、21世紀の二つ目ののディケードに入った我々に重い課題を投げかけている。エネルギーの源となる埋蔵資源の多くは使えばなくなり2度同じ使い方ができなくなる。だけでなく、形を変えたエネルギーはどこかに失せたわけではなく、自然環境に多くのマイナス影響を及ぼしながら我々の暮らしを圧迫し始めている。

この魅力的だが極めて厄介なクルマという存在を、いかに味方につけてそのプラスの影響を未来に繋げて行けるか。それを考えるには、今を楽しみ、その中で答えを出して行く姿勢が欠かせない。

クルマを媒介にネットワークを形作り、日本全国はもちろん、世界中に提案できる普遍性を持った枠組みを作ってみよう。クラブという曖昧な形態を取ることで日常にうまく溶け込めたらいい。ルールは集う人が決めて行けばいい。大人が集う場としての"倶楽部"という形態を取りながら、森羅万象に関わるクルマの面白さを伝える文化的なスペースを作りたい。

『動遊倶楽部』というタイトルはすでに着想から四半世紀を経た歴史ものの範疇だが、これに氏名の中抜きである"木悦"のロゴを添えた名を以て、長年の懸案を実行に移そうと思う。敢えて宣言するほどのことでもないが、自らの意志の再確認と背水の陣であることを表明することで一歩前進させたい。動遊倶楽部を作るための組織として『動遊社』を立ち上げる。これもかねてからの構想だが、正式に表明するのはこれか初めてということになる。

成すべきことは、人、道、車というそれぞれが独立した"システム"が互いに重なり合うことで、クルマという本来の機能を果たし得る『三重のシステムとしてのクルマ』という大前提に立ち、まず第一に自然環境に根ざした道路のあり方を考える。システムとしての高速道路のあり方は、大きな問題として語って行く価値があると思っている。

変化に富んだ日本の国土、自然環境は、クルマを鍛えるに格好の場であり、その道とクルマに関わる人にとっても本来の楽しみを掘り下げるのに好ましいこれ以上のステージはない。

東京に象徴される巨大都市への一極集中を改め、個性豊かな各地の土地柄を活かす分散型の国のありようを追求することは、昨今の震災や自然災害への備えや原発問題の解消策を考える上で避けて通れない。

過去の延長に身を置こうとする大多数の既得権保持者が変わらないかぎり、現状が好転する可能性は少ない。それか明らかになった今、自動車からその方策を考えるという道筋は、単にクルマのスリルを味わうこと以上に面白いことなのかもしれない。

なかなか踏み出せなかったのは、自らの突破力に対する懐疑からであり、厳しさを増す我が身のありようと年齢のせいだ。そんな分かりきったことでいつまでも逡巡していてもつまらない。やるかやらないか。とにかく一歩を踏み出して、少しでも理想と思えるゴールに近づこう。

クルマ好きが集える場としての『動遊倶楽部』をひとつひとつ形にして行き、集う人が情報発信源となる。当然、クルマで言えばFRレイアウトが重要なキーワードになるが、それやこれやを含めて少しずつ膨らんで行けばいい。地球をクルマで走り回る。理想は案外シンプルなところに落ち着くのかもしれません。

2011年8月3日 動遊社 と 動遊倶楽部 の設立を期して起草しました。

伏木悦郎      

2011年7月7日木曜日

ファンタジア構想、再び。


書きたいこと、書かねばならぬことが山ほどある。どこから手をつけてよいやら、事態がここまで進んでしまうと、途方に暮れるばかり。ここはコツコツひとつずつ埋めて行く他はない。もっとも不得手とするやり方が残ったが、やっと観念した。


ここではまず、道路の話をしたかった。まだ何も始まっていないので過去形で言うのもおかしいが、クルマを語る上で基本中の基本となる「それが走る環境としての」道路、とくに世界でもっとも理不尽な高速道路とそれと接続するシステムとしての道路網については、折りを見て書き連ねたい。


今までの行き掛かりとその結果としてある現実を前提に考えるかぎり、何ひとつとして新しい時代には対応できない。自動車の世界生産第一位を維持している先進国であるにも関わらず、料金の徴収を念頭に置いた高速道路網が半永久的に存続するシステムの異常さについて自覚しないかぎり、日本の自動車産業の未来はない。

クルマは単に収益を上げる手段ではなく、モビリティによって社会を活性化するツール。その視点を欠いては、豊かな自動車社会など語ることすら憚られる。ま、これは追々議論したい。

運転する楽しさ、その多くはドライビングスキルにつながる話だろうが、これについても深く議論を尽くしたい。少なくとも、クルマ好きを以て任ずるなら、運転に対する興味が尽きることはないはずだ。楽しみ方は千差万別、十人十色だろうが、より欲張りに考えれば一人十色。能力さえあれば、多重人格のように様々なクルマの愉しみ方を変幻自在に受け入れられるほうが楽しいに決まっている。

時代の流れとともに、様々な流行が生まれ、技術の進歩によって手に入る現実が拡がってきている。でも、現実の環境は、地球という大きいけれど閉ざされた枠組みの中では何も変わってはいない。

クルマは、人と道と車というそれぞれに独立した"システム"が互いに重なり合って機能を果たすという意味で『三重のシステム』として存在している。いずれ、どこかで触れることになると思うので、深追いは避けるけれど、その視点に立った時に、クルマの好ましいあり方について考える仕組みの存在の必要性に思い当たる。

本来は、それは自動車メディアの守備範囲であるはずなのだが、すでに自動車産業の宣伝広告媒体として取り込まれてしまっている商業ジャーナリズムに多くを期待するのは難しい。そこを突き破るにはどうしたらいいか。遠く20余年前、バブル景気が盛り上がる前夜だったと記憶するが、ある自動車専門誌のコラムに標題の『ファンタジア構想』のタイトルで何回か書き連ねたことがあった。

まだ、パーソナルコンピュータが一般的ではなく、インターネットが普及するずっと前。そもそもは、1985年末の取材中の事故で入院中に読んだ『知価革命』(堺屋太一著)に触発され、通信を使ってコミニュケーションのネットワークを構築する発想を得た。

ちょうどゴルフのカントリー倶楽部のような感覚でつながるクラブ組織。当時のモーターマガジンのバックナンバーを読み直さないと正確を期すことはできないけれど、当時まだ30代後半の思考はその後の時代の変遷を振り返ると大したものだと自画自賛できるものがある。

残念なのは、時代の流れを追いながら為す術もなくここまで来てしまったことである。考え方は間違っていないと思うのだが、具体化するエネルギーを欠いた。随分歳をとってしまった今になってやる? まあ、ここまで生きてきてしまえば、あとはもうおまけだろう。幸いというか、失うものもない。

というわけで、このブログの標題にも付いている『動遊倶楽部』設立に向けて本格始動します。自ら宣言しないと空念仏で終わってしまうので、公にすることで明確な意思を示したい。無一文の段階から膨大な資金を必要とする大風呂敷がどこまで拡げられるでしょうか。まあやるだけです。

2011年6月14日火曜日

道路について思うこと

■初体験は土砂降りだった(ノルドシュライフェの記憶)

  「クルマを創るのは道ですよ‥‥」トヨタのマスタードライバーとして多くの人々に慕われた故成瀬弘は、ことある毎にそう話してくれた。「ニュルもいいけど、あそこでクルマを仕上げちゃうとおかしなものになっちゃう。今では開発の主体というより最終確認の場という位置づけ。ヨーロッパにはもっと凄い道があちこちにあるんです‥‥」。

  ニュルとはもちろんドイツ中西部アイフェル山中にあるサーキット、ニュルブルクリンクのことだ。1927年に開設されたNordschleife(ノルドシュライフェ:ドイツ語で北コース)は、当初22.8㎞の長大な距離に172のコーナーがレイアウトされた難コースとして勇名を馳せている。

  高低差は約300m。変化に富んだ地形を駆け抜ける路面はほとんど普通のワィンディングロードと変わらぬ幅員で、数mのコースオフエリアの先は即ガードレール。 摩擦抵抗係数も通常のレーシングトラックほどには高められていない。

  クルマに対してだけでなく、ドライバーに高いスキルと精神的タフネスを要求することから、魅了されてその価値観に浸り込むドライバーや自動車の開発者が後を絶たない。

  僕がここを最初に訪れたのは1984年のことである。当時関わっていたタイヤ会社にプレスツアーの企画案を求められて、この歴史あるサーキットに白羽の矢を立てた。タイヤの評価を手掛けるジャーナリストを招待して、新製品でここを走ってもらうというプランだった。

  当時のニュルは、まだ知る人ぞ知るマイナーな存在。1967年に生沢徹がホンダS800で国際格式の500㎞レースを制覇(日本人初)し、1976年のF1ドイツGPではフェラーリの時のエース、ニキ・ラウダが炎上事故で瀕死の重傷を負う‥‥そんなニュースが一部メディアで報じられたりもしたが、世界最長のクローズドレーシングトラック、ニュルブクリンクを知る日本人は限られた。

  実は、このニュル企画の前に、もう一つヨーロッパの伝説的なレース、タルガ・フローリオを取り上げていた。ならば次は‥‥という流れでニュルブルクリンクということだった。目のつけどころは悪くなかったと思う。誰を呼ぶかという人選にも関与したが、リストアップした面々は皆いまや走りに一家言持つ大御所ジャーナリストに成り上がっている。

  1980年代後半になると、急速に力をつけてきた日本の自動車産業はせっせとニュル通いに励み出す。まず欧州プレミアムスポーツカーブランドへのOEM承認を狙うタイヤメーカー、次いで国際規格のスポーツカー開発に目覚めた自動車メーカー。やがてイケイケのバブル爛熟期に突入し、猫も杓子もニュルという状態になったが、84年のニュルはまだまだ牧歌的な雰囲気の中にあった。

  ノルドシュライフェはとにかく長い。地形のあるがままを行くコースレイアウトは、距離相応の変化に富み、習熟にはかなりの時間を要する。初見参はあいにくの強雨。現在では路面μが極端に下がるヘビーウェットでは走行禁止となるのが普通だが、スケジュールに猶予がなく走りが強行された。

  僕はリスクを考慮して、まずは当時出たばかりのアウディ・クワトロを選んだのだが、それでもコースインしてすぐのクランクコーナーで簡単にクルッと回った。別のクルマでは、どぉ~んと下った先が右コーナーの手前でタイヤがロック。心臓が口から飛び出す思いを味わった。まだABSが普及する前の話である。

  その時F1経験もあるT.ニーデルが姿を見せていた。この企画に関係していたモータースポーツジャーナリストA君が連れてきたのだと思う。ニーデルのドライブするクワトロの助手席に乗り、異次元の走りに衝撃を受けたのが当時気鋭のS君。日本の自動車メディアが初めて経験するニュルが、わが国の自動車史に何がしかの影響をもたらしたのは本当だ。

  たとえ良好なコンディション下であっても、コースを確実に把握していないと歯が立たない。当時まだ30代前半の僕にとってもニュルは衝撃的な原体験だった。最低一週間は通いつめて身体に叩き込む必要がある。どっきりする経験を何度もして、そのことを学んだ。

  魔物が棲むと言われる奥の深さに、ノルドシュライフェにはまる者が今も後を絶たない。日本人のニュル詣でが、長い間く忘れられていた伝説のサーキットを蘇らせた。R32GT-R、NSX、SUPRAの開発拠点としてクローズアップされ、ポルシェをはじめとする地元ドイツメーカーがこれに呼応する。

  世界で覇を競い合う日独メーカーの対抗意識がニュルブルクリンクの聖地化に拍車をかけた。さらに、  最近ではポリフォニー・デジタルのシュミレーションゲームソフト、グランツーリスモ(GT)シリーズがニュルブルクリンク・ノルドシュライフェを世界的な存在に押し上げた。

  GTは、1997年に第一作が発売され、昨年発表されたGT5にいたるシリーズは全世界で累計6315万本(2010年12月)の出荷を記録しているベストセラー。単なるゲームソフトではなく、リアルに徹底的にこだわった精緻な作りと技術データに基づく科学的なアプローチは、ドライビングスキル向上の有効なトレーニングツールとしても注目を集めている。

  コースレイアウトが景観や設備のディテールとともに精密に再現してあり、マシンの仕上がりもシュミレーターを名乗るほどリアルなので、まずは圧倒的な情報体験をリスクを負わずに積むことができる。ドライビングスキルを左右する視覚情報の集積というトレーニング効果は馬鹿にならない。  このバーチャル/リアル体験を徹底的に重ねて行くと、最小限のリスクでコース習熟が可能となる。

  最新のGT5は情報蓄積という意味では実体験とまったく変わらない。実際にGTシリーズの総合プロデューサー山内一典は、数千ラップに及ぶGTでの経験を重ねた上で現地入りし、耐久レースの本番を難なくこなしてみせた。現在ではF1を含む世界の一線級レーシングドライバーの多くが、このデジタル体験によってコース習熟という難題を克服しているといわれるが、理解できることだ。

  ルーキーのF1パイロットが、初めての鈴鹿や富士にあっという間に適応して、地元のローカルドライバーが舌を巻くスピードを見せつける。その裏にGTシリーズありというのは本当だろう。

  ポリフォニーデジタルでは、2008年からヨーロッパの10ヶ国を対象にGT5でドライビングスキルを磨いたユーザーによるオンラインタイムアタックを実施。その上位各国3名を一同に会して実車(日産370Z)による最終選考を行い、優勝者を実戦デビューさせしまうという画期的なプログラム『GTアカデミー』を欧州日産とのコラボでスタートさせている。。

  かつてある専門誌で行ったインタビューに「いずれバーチャルはリアルを超えます」GTのプロデューサー山内一典は力強く答えた。GTアカデミーはその果実のひとつということだが、そう遠くない将来日本でも同じような企画が動き出すことになるかもしれない。

■アウトバーンは世界で唯一の"ハイパフォーマンス・フリーウェイ"

  ブラインドコーナーが連続するテクニカルなレイアウトとマシンによっては300㎞/hを超える最終の長い高速直線区間。ノルドシュライフェは、トップパフォーマンスを競い合うプレミアムスポーツにとっては、そこでの優劣が直接ブランド力に影響するという点で重要な意味を持っている。

  もっとも、その実態は速度無制限区間が残るアウトバーンと同様、完全なる非日常的な空間だ。そこでの『スピード』を評価や価値判断の中心に据えてしまうと、かなり曲がったコンセプトのクルマになりかねない。これも故成瀬弘が残した遺訓である。

  そうであるはずなのに、まだ考え方を改める動きは主流になってはいない。 ニュルブルクリンクとアウトバーンは、いまなお世界の自動車の評価に強い影響を及ぼすドイツ価値観の象徴といえる。

  そこでの超高速が日常的に消費可能か否かはすでに明らかになっている。ドイツを含む世界中のどの国でも現実的ではない。にもかかわらず、我々はまだスピードに代わるクルマの魅力や価値観を見出してはいない。

スピードに象徴される高性能が、今日もなお世界の技術トレンドの覇権を握って最大要因になっている。エコが問われるようになって久しいが、そのためにスピードを現実的なレベルに下げるという考え方が検討されてもいいはずだが、そのような意見が主流になる機運は盛り上がりそうにない。

  200㎞/h オーバーの日常性に乏しいスピードにすがらなくたって、現実のクルマによるモビリティは十分に楽しい。アウトバーンをごく普通に走り、郊外の一般道を往来するだけでもクルマの魅力は堪能できる。ドイツでクルマを走らせて常々実感することである。

  世界最強の道路システム・アウトバーンは、単に高速道路として存在しているのではない。当然のことながら主だった一般幹線道と連結し、ネットワークとして機能するようにデザインされている。全国に分散した都市を適度なスケールに留め置く道路網の充実と、無理のない都市の規模が生むゆとりと社会インフラの充実は、中央と地方という対立構造を伴う極端な格差を生み出さない。

  超高速で走るリスクを負うまでもなく、ファンtoドライブを満喫しクルマの楽しさを実感することができる。 いや、アメリカのフリーウェイやイギリスのモーターウェイなどの無料高速道路網を有する国を走らせてもまったく同様で、クルマは本来こうやって使いこなすもの‥‥問題の本質が何なのかについてすぐに思い当たることになるはずなのだ。

日本でのクルマの使いにくさの根本はどこにあるのだろう?密集.した都市空間では、東京もニューヨークもロンドンもパリもフランクフルトも上海もバンコックもサンパウロもない。大きな人口を抱える都市ではどこでもクルマの非効率は問題になっている。

  山がちな島国で、南北に長く、四季がはっきりしている。変化に富む豊かな自然に恵まれた日本の国土、風土は世界的にも胸を張れる美しさがある。ただ、その往来や居住地などの人為が及ぶところがいけない。景観は自然との調和とともに形作られるものという考察に欠け、全体をデザインしようという発想が貧弱だから、色や形として抽象的に捉え、伝えられるイメージがない。

人が往来する道路は、基本的に封建時代の中央と各藩諸公の二重統治をそのまま引きずっているようだ。道路は幕府と都を起点に伸びる一方、地方のそれは地元の地縁や血縁を優先する縄張り意識が垣間見れる排他的な構造になっている。

  中央集権と村社会の複合構造。高速道路にしても主要幹線国道にしても、江戸時代の五街道のように中央に向かう参勤交代のための道として考えられていて、分散型ネットワークとして全国を繋ぐという発想では形作られていない。地方は地方で不便よりも他者を阻む地域独占を優先する癖があるようだ。

  先日、東日本大震災の被災地を岩手・宮古~宮城・仙台、気仙沼~福島・相馬と巡ってみて、この国にはまだ徳川幕藩体制のマインドが残っているのではないか。ふと思うことが多かった。東北に伸びるのは基本的に内陸を貫く東北自動車道一本だけ。沿岸部は、およそ世界第3位の経済大国とは思えない貧弱な道路インフラのままとなっている。

  茨城以西、以南では充実した太平洋沿岸も、いわきの先から仙台の手前までの常磐道が未通。浜通りの幹線道は国道6号一本にかぎられ、原発災害の半径20㎞以内立入禁止措置のためにいわき市まで南下しようとすると、一旦中通の国道4号か東北自動車道まで行ってぐるっと迂回しないと至れない。

  相馬市から東北国見ICに至る一帯は、美しい里山の景観がつづく田舎の原風景を見るような懐かしさの湧く土地柄だったが、よそ者を歓迎しない素朴さも感じた。国道113、115号線は、ちょっと整備したら一級の観光資源になるだろう。

  いっぽう中通りの動脈たる国道4号線は、その規模と設備が印象的だ。2~3車線がずっと続く福島市から郡山市までの区間は、中央からさらに北への物流経路にすぎない東北道など不要と思えるほどの充実ぶり。漁業などの一次産業で生きる相馬などの沿岸部とはかなり印象が異なる。

  福島県は、これまで中通や会津地方ばかりで、浜通りに足を伸ばすのは初めてだったが、これまで思っていた以上にこの県は豊かという印象をもった。そこに原発がどう絡んでいるのかは分からないが、今回の原発災害でその富を人々が手離すことができるだろうか。とても難しい問題が控えているような気がしてならない。

  宮城から岩手にいたる三陸地方も拓かれたイメージとはほど遠い。仙台から沿岸よりを北に目指す三陸自動車道にしても、花巻から釜石に伸びる東北横断道路もいつになったら全通するか分からない。

  リアス式の海岸線には、思った以上に多くの人々の暮らしがあって、そこが悉くやられてしまったわけだが、世界屈指の漁場と地震と津波さえなければ天然の良港といえる好条件を守るには、便利になりすぎるのも考えもの。盛岡から宮古市までの狭く長い道のりを走らせ、行き着いた先の惨状を目の当たりにすると、ここには別の価値観があったと思わざるを得なかった。

  目を日本海沿岸に転じても、高速道路をネットワークとして捉えようとしているようにはみえない。中央から遠隔地については、現在の人口などから割り出された需要をベースに考えて優先順位をつけ、後付けの採算性論議によって計画を先のばしにする。まず中央の考え方かあって、地方はその従属物としての地位に留まっている。

  連邦共和制を採用するドイツは現在16の州で構成され、中小規模の都市をバランスよく配置する全国分散型の国作りを目指している。最大の首都ベルリンでも人口は300万人台。全人口は日本の約3分の2(8000万人)だが、100万人都市は他にハンブルグとミュンヘンがあるだけで、多くが数10万人の規模となっている。

  この偏りなく点在する都市間をつなぐのがアウトバーン。当然のことながら無料で、都市間を密に結ぶいっぽうで、周辺の一般道路とも有機的に結びついている。ドイツはグローバル化した自動車市場で競い合う日本にとって最大のライバルだが、クルマの技術展開もさることながら、クルマを活かす使用環境の整備において決定的ともいえる差をつけられている。

  モノ作りが大事とこだわるいっぽうで、その前提となる良いモノのベースとなる使用環境には無頓着。クルマでいえば、それがないと走れない道路の整備とそのクォリティ/性能の確保が欠かせないのに、妙な採算性などの経済合理性が幅を利かせるようになっている。財政破綻の原因は、それを仕切ってきた行政官僚の失敗にあるのであって、その検証もせず、制度や仕組みの改革を成すことなく財政赤字のツケを民間に回すなどとんでもない。

  まず既得権益をはぎ取った上で、基本的には徳川幕藩体制と何ら変わらぬ状況を改め、新たな成長戦略とともに国を作り直す。ネットワークとしての道路はその前提条件になるはずだ。

 日本の高速道路の現実が、 世界のどこにもない極めて異常で不思議なものであるという事実から話を始める必要がある。アウトバーンやフリーウェイやモーターウェイを一度でも走ったことがあるなら、基本無料でネットワークとして機能している高速道路が本来あるべき姿だとわかるはずだ。

 日本にはニュルブルクリンクはないが、トヨタとホンダと日産と三菱がその影響を少なからず受けたテストコースを北海道にそれぞれが保有している。ニュルは一般にも公開されるパブリックな存在だが、日本にあるのは私企業の生産の現場というおよそ文化とはかけ離れた似て非なるもの。

 なぜこんなことになってしまったのか。もう一度ここから話を始める必要があるのではないだろうか。しばらくこの話題にこだわってみたいと思います。

2011年6月3日金曜日

プリウスの話をしよう

■僕がプリウスを買った訳 

  わが家にはすでに8年近く乗り続けているプリウスがある。2代目のNHW20型で色は黒。すでにオドメーターは8万㎞に迫っている。一昨年までは99年式の白いS2000も持っていて、こっちが主力マシンだった(手離した時には14万㎞を超えていました)ので、これでもけっこう乗っているほうだろう。

  DRIVING JOURNAL@動遊倶楽部は、タイトルの説明にもあるとおり、"クルマはFRでなければならない"というちょっぴりカルトなFR絶対主義を基本的な行動規範として掲げます。この話は長くなるので追々触れて行くことにしますが、なんでそれがプリウスなんだ? もっともな疑問だと思います。

  実は、このプリウスの前はアルテッツァでした。現行レクサスISの前身(というか和名ですね)の購入は、発表直後の1998年10月。「魅力的な国産2ℓ級FRセダンが登場したら必ず買う」80年代からの広言を実行に移した結果でした。翌年にはS2000が加わり華麗なるFR2台体制が完成します。

  S2000は、ホンダが創業50周年を記念して30年ぶりに世に出した、S800以来のFRスポーツカー。ホンダとは80年代後半からFFvsFR論争を闘わせた間柄です。積極的に開発を求めた手前引っ込みがつかなくなり、こっちも購入することに。リーマンショック以降の経済状況の悪化のあおりでやむなく手離し、FR絶対主義が看板倒れ状態になったのは残念ですが、まあ人生山あり谷ありです。

  プリウスNHW20購入を決断したのは、実はFR絶対主義のさらなる理論武装のためでした。すでに時代は石油需給の逼迫と新たな環境問題が浮上。先進国を中心とする世界の関心は、経済発展から環境保全へと移っていました。

  それまで無害と信じられてきた二酸化炭素が、突如地球温暖化という新たな課題の問題物質として急浮上したのは驚きでした。我々がそのことを身近な問題として知るきっかけとなったのが、1997年に京都で行われたCOP3(気候変動枠組条約第3回締結国会議)、通称京都会議でした。

■カリフォルニアで知ったプリウス登場の背景

  私は、これもある日突然新聞が報じはじめた米国カリフォルニア州の大気清浄法の実態を確かめようと、ちょうどその頃始まったCSTV朝日ニュースターのレギュラー番組で現地取材を行ってます。1995年のことでした。

  加州大気清浄法‥‥世に言うZEV法は、カリフォルニア州で一定以上の量販規模を持つメーカーに対し、排気ガスゼロのクルマを1998年に2%、2003年までにその比率を10%に高めて販売することを義務づけるという法律です。州法ですが、全米最大の自動車市場の影響力は後に全米規模に及びました。当時ゼロエミッションビークル(ZEV)といえば、鉛バッテリーの電気自動車(EV)です。

  ZEV法がターゲットとして狙いを定めたのはロサンゼルス(LA)市の大気汚染でした。当時のLAは、午前中は洗濯物を外に干せないといわれるほどスモッグが問題視された状態。飛行機でLAXにアプローチする際に、それははっきりと目で見て理解できるものでした。(下の写真は2009年)

  しかし、取材を行ってみると、ことは単純ではありませんでした。太平洋を背に三方を山で囲まれた地形と乾燥した気候がLAの環境問題の物理的な核心です。これにクルマがないと生活が難しい全面的てクルマ依存の社会構造が重なって複雑化します。

  基本的に大気が滞留しやすいところに、エミッションをまき散らすクルマが大量に存在する。乾燥した環境はクルマの老朽化を遅らせ、経済力の乏しい人々はやむなくそういう古くて大きいアメ車に乗る。 当時ガソリンは水より安いガロン/1ドル台だったので、燃費は問題にならなかった。そして、そういうクルマに頼るのは非白人系が多い低所得者層。現在でも基本的な構造は変わらないと思います。

  これらの要因をつなぎ合わせると、LA固有の地形や気象というシンプルな地域環境の話から、人種 問題に飛び火し、その向こうにある政治や経済、さらには産業構造や雇用の問題へと際限のない広がりを持っていることに気づかされました。

  最新モデルに比べると何倍ものエミッションを垂れ流すクルマを廃棄し、新車への買い換えを促進すれば、LAの大気は劇的にクリーンになる。問題解決の糸口は実は予想外に単純なものでした。しかし、それを実行に移そうとすると、政治や経済の社会問題に直結してしまう。買い換えの費用をどうするか?低所得者層に無理強いをすれば、その政権が次の選挙で勝つ可能性は激減してしまいます。

  当時は、ソ連の崩壊にともなう冷戦構造の終焉が明らかになった時代でもありました。巨大な軍需産業で働く優秀なサイエンティストやエンジニアの大量失業が社会問題化しつつあった。その有望な再雇用先として注目されることなったのが、ZEV法のコアにあるEV(電気自動車)をはじめとする次世代エネルギー車だというのです。

  カリフォルニア州が発端となったゼロエミッションビークルは、背景にアメリカという国が抱えるあらゆる問題を浮き彫りにする存在。現地で確かめることもなく、特派員のリポートをベタ記事で掲載して分かったようなことを書いている新聞記者が思いも寄らない現実がそこにありました。

  余談ながら、ZEV法がらみで日本から取材に来たのはお前が初めてだと、複数の在LA日本メーカーの広報担当者に言われました。

  95年当時はビル・クリントンの民主党政権時代。ZEV法は同政権2期目の97年以降さまざまな抵抗にあって骨抜きにされ、2001年からのブッシュ共和党政権下では完全に忘れ去られてしまいます。09年にバラク・オバマの民主党が政権を奪取し、グリーンニューディールを掲げたところから再びEVに注目が集まっています。

  来年(2012年)にはZEV法が本格的な実施プログラムに移行することを考えると、EVはそもそも政治的な存在だったということがおぼろげながらも理解できますね。この加州ZEV法がきっかとなってEVやHEV(ハイブリッド)、FCV(燃料電池車)などの次世代エネルギー車が注目を集めることになるわけですが、あの頃のカリフォルニアでCO2が問題視されることはありませんでした。

  「それが電気だろうが、ガソリンだろうが何だろうが、このカリフォルニアの空がクリーンになるなら手段は何でも構わない」単独インタビューに応じたCARB(カリフォルニア大気資源局)のダンロップ局長はシンプルにそう言いきりました。

気がついたらCOP3で日本は90年の排出量の6%減というCO2削減案が提示され、いつのまにか欧州が問題視した二酸化炭素問題とカリフォルニアのZEVが合体して世界的なエコカーブームが出現してしまった。サマリーだけでもこれだけ複雑になってしまうのですから、詳細を伝えようとしたらえらいことです。

■米人ジャーナリストが「パワーは十分、もっとエコでもいい」って言うんです(粥川CE) 

  諸々は折に触れて書くということで勘弁してもらって、プリウスの最新作の話をします。プリウスαは、今年のNAIAS(北米国際オートショー=デトロイトショー)でワールドプレミアされたプリウスの派生モデルの日本国内向けの呼称で、NAIASで公表された北米モデルはプリウスVでした。

  日本国内市場向けのプリウスαには、2列シート5人乗りと3列シート7人乗りが設定されている。北米にはこの内の2列5人乗りのみが設定され、欧州は日本と同じ2本立が予定されている。写真上が5人乗り、下が7人乗り。センターコンソールの形状に注目。

  5座と7座の違いは、北米仕様ともいえる前者が従来のオリジナルプリウス同様のニッケル水素をリアシート後ろのフロアに収め、その位置に3列目シートが来る後者はセンターコンソールにコンパクトでエネルギー密度の大きいリチウムイオンバッテリーを搭載。重量と性能が互いに相殺されることで両者の走りパフォーマンスはほとんど差のないレベルに収まったという。

  オリジナルのZVW30型のデリバティブ(派生モデル)として新たにプリウスファミリーの一員に加わったプリウスαは、フロントマスクやエアロコーナー、特徴的なトライアングルフォルムのルーフラインなどでイメージの共通化を実現しているが、外板はほぼ別仕立て。

  80㎜のホイールベース延長やルーフラインを高いまま保ちファストバックからハッチバックへと大きく変わった。プロポーション的にはまったくニュアンスが異なるけれどイメージがブレていない点が興味深い。

プリウスαが狙うのは、オリジナルプリウスのようなコンセプチュアルな理想主義的スタンスではなく、実用上のメリットの最大化。(写真上が5人乗り、下が7人乗り。いずれもスムーズな乗降性と余裕のあるヘッド&ニールームが印象的。使い勝手はオリジナルプリウスより断然上)

  日欧に用意される3列7人乗りは、実際にそういう使い方をするかどうかはともかく、”いざという時に”という日本人が好むエクストラバリューに商品価値を求めている。北米で割り切られた5人乗りの狙いはとてもシンプルだ。大きな体格のパッセンジャーがリアシートに座っても苦痛を覚えない。

  適度な高さに設定されたシート着座面とフッド&ニースペースの余裕。リアルな使用状況を考えたら、こっちのほうが断然正しい。重量増や車体の大型化はエコカーに好ましいものとは言えないが、重要なのは現実的な使用状況下での商品性。

  実際にステアリングを握ってみると、この大地らかな解放感は悪くない。ちょっと首をすぼめなければならないオリジナルプリウスの後席がNGという人には朗報だ。そういう使われ方が現実にされるかどうかはともかく、タクシーへの転用を考えると、これはなかなかのものだ。

  走りの洗練度はちょっと心が動くものがある。つい先だって、南カリフォルニアで北米プレス向けの試乗会に立ち会ってきたという粥川宏主査は、「走りは十分だよ、もっと燃費に振ってもいいのでは?」アメリカ人の意識を変化を実感させるジャーナリストのコメントが印象的だったという。

  現在カリフォルニアでは1ガロン(3.8ℓ)/4ドルを超えていたということで、ガソリン代に敏感なアメリカ人の消費マインドは完全に省エネダウンサイズに移行している。どこの国でもジャーナリストは一般ユーザーの気分を汲み取り、その代弁者として行動したがるもの。

  ガロン/3ドルを割り込むと、さっさと大きなSUVやライトトラックに切り換えるアメリカ人気質も、いよいよ大きく変化しそうな状況にあるようだ。

  走りのセットアップについては、あえてコンフォート重視であたりの柔らかい落ち着きある味付けにこだわった。北米市場では、アジりティ(俊敏性)が求められているということで、日本で乗るのとはかなりニュアンスの異なるセットアップがなされていることが多い。

昨年の話になりますが、NYIAS(ニューヨークオートショー)取材の帰路LAに立ち寄って、プリウスとフォードのハイブリッドセダン、フュージョンの乗り比べを行ってみました。記事を買ってくれる媒体がなかったのでお蔵入りになっていたのだが、ちょうどいい機会なのでその時の印象を少し書きます。


  日本では地味な印象をもたれやすいフォードのオーソドックスなセダンルックをベースにしたフュージョンだが、プリウスと乗り比べてみると「こんなに洗練されている?」角の取れたしなやかな乗り心地にちょっと心打たれるものさえ感じた。翻ってプリウスは‥‥だが、けっこう固めてこんなに粗かった?日本で乗って感じるのとかなり隔たりのある評価を下さざるを得なかった。

  まあ、リクエストがあったら、プリウスとフュージョンの詳しい比較の話をしようと思いますが、この時の経験が粥川リポートを素直に聞ける材料となったのは間違いありません。どちらかというと日本以上に走り志向のジャーナリストが多いアメリカで、40マイル/ガロン以上の燃費を叩き出し、その数値に一喜一憂しているような人々が増えた。その事実は、変わり行くアメリカの現実をかなり忠実に描き出しているのではないでしょうか。

  マインドが変化すれば、走りの評価も動く。同じ方向に一色で染まるのはつまらないけれど、一面能天気なアメリカ人が燃費コンシャスに振れてきた。こういう多様性はとりあえず歓迎したいと思う。

  エコがあって、カタルシスにのめり込むエモーショナルな走りの魅力もある。それが好ましいあるべき姿。その文脈で、老若男女が走りに酔い痴れるコンパクトFRスポーツがあってもいい。ちょっとオチが強引でしたかね。

2011年5月31日火曜日

感動を追い求めて‥‥

   テクノロジーの進歩は、実際に手にして体験してみないと分からない。11年前に一念発起してホームページ(HP)作成に手を染めたことがありました。既存メディアだけに頼っていたら未来が危うい。20年もフリーランスで生きてくれば、そのくらいの嗅覚は身につきます。

   市販のHP作成ソフトを買い求め、マニュアルと首っ引きで悪戦苦闘。一週間ほど徹夜して出来上がった成果は、お世辞にも褒められない子供だましのようなものでした。なにしろ当時使っていたラップトップはHDDが1GBしかないWindows95マシンです。ブロードバンド前夜のアナログ時代。ピィ~ガァ~というダイヤルアップの接続音が懐かしく思い出されます。

   考えてみれば、高速ブロードバンドが普及してまだ10年たらず。なのにアナログのアクセスポイントへの接続に一喜一憂していた時代が遥か遠い昔のように感じられる。携帯電話の全国的な普及による時代の変化と、昨今のスマートフォンの浸透によってもたらされる社会の質的変容は、まったく別次元の事象ということになりそうです。

   メールができる電話機から、通話も可能な情報端末に。アナログ時代の不便をノスタルジーとして懐かしく振り返らせる圧倒的なスピード感にはなかなかついて行けません。TwitterツイッターもFaceBookも、アカウントを作ったのは早かったのですが、使おうかどうか迷っている間に時代がどぉ~んとそっちに流れて行きました。

   理解できない旧世代との溝はすでに埋めがたいものになっていますが、テクノロジーは構わず前へ前へと急いでいる。ガラパゴス化をいかに克服し、世界標準に足並みを揃えながらサバイバルするか。課題は山積みですが、逆戻りすることはないでしょう。

   ところで‥‥意を決して懐かしいタイトル『動遊倶楽部』を復活させることにしました。錆びつきを自覚する瞬間が増えた石頭どこまでやれるか。半信半疑のままとにかく作成に取りかかったわけです。さすがに右から左へすいすいとは行きませんでしたが、それでも何とか形になりました。

   しかも、驚いたことにかなり高度な内容のブログの作成に掛かった費用は実質的にゼロ。時間は掛かりましたが、ハードもソフトも無料でした。遅ればせながらクリス・アンダーソンのベストセラー『FREE』で語られているフリーミアム(FREEMIUM)経済の進展ぶりに、いまさらながら驚いています。

   フリー=無料を前提とするサイバー空間の現実は、そう遠くない将来経済の仕組みを根底から改めることになるだろうと言われています。自動車産業のような製造業は、裾野の広い生産の現場であると同時に、膨大な物財を購入する消費者としての側面を持っている。グーグルやアマゾンのようなビジネスモデルとは同一には語れません。

   設備や材料を消費することを前提とするために限界費用がゼロに近づくことはなく、いかに付加価値をつけて高く売り利益を上げるか。開発/生産以外のマーケティングや販売でのコストを極限まで引き下げることが、これからのサバイバルの必須条件となる。新興国の価格競争力に対抗するには、圧倒的な品質とブランドをはじめとする感動をもたらす資産価値の創造が欠かせません。

   先週の5月23日、東京のMEGAWEBで行われた記者会見はとても興味深いものでした。その数日前に一通のメールがトヨタ自動車広報部からもたらされました。ヘッダーには「共同記者会見のご案内」とあり、添付ファイルを開くと、米国セールスフォース・ドットコムとトヨタ自動車㈱の代表者による共同会見を行うので出席するように、と書いてあった。

   セールスフォース?初めて聞くドットコム企業名。さっそくgoogleで調べると、1999年にエンタープライズ・クラウドコンピューティング企業として創業したベンチャーで、会長兼CEOのマーク・ベニオフの強いリーダーシップによって”クラウド”のリーディングカンパニーとして急成長を遂げている。

   せっかくの機会なので少し踏み込んであたってみると、クラウド型プラットフォーム「force.com」やクラウド型CRM(顧客関係管理)アプリケーション「salesforce.CRM」、企業内SNSの「salesforce.Chatter」などといった、資料を読み込んでもすぐには理解の及ばない事業内容が記されていた。すでに全世界の97,700社を顧客として抱え、年間推定収益が20億ドルを超える初のクラウド企業となることが確実視されている。

   確かな技術力もさることながら、社会貢献を創業時からの企業方針と定め、就業時間の1%、製品の1%、株式の1%を地域社会に還元する『1/1/1モデル』に則ってセールスフォース・ドットコム基金を設立。独自の理念によって新しい企業のあり方を打ち出しているという。

   注目の記者会見。会場のMEGAWEBに足を運ぶと、意外にも同業の自動車ジャーナリストの影がほとんどなく、少数の専門誌編集者の顔を見ただけ。新聞やWEB系メディアが大半という状況でした。

   同時刻に公式ユーストリームを使ってオンラインライブ中継を行うということで、あえて混み合う会場を避けたということでしょうか。トヨタの広報部としても、自動車専門メディア関係者にはあまり声掛けしなかったということでした。何はともあれ、そのライブ映像をご覧ください。
http://www.ustream.tv/recorded/14906693#utm_campaign=www.facebook.com&utm_source=14906693&utm_medium=social

   記者会見で明らかになったことで印象的だったのは、トヨタとセールスフォース・コムの提携に漕ぎ着けるまでのスピード感。マーク・ベニオフCEOから『TOYOTA FRIEND』のプランが提案されたのは、デトロイトNAIASの往路か帰路に同CEOのハワイの自宅に立ち寄った際という。もちろん、クラウドコンピューティングについてはトヨタとしても独自にリサーチを進めていてたというが、提案を受けた豊田社長はわずか数ヶ月で今回の共同会見を実現させてしまった。

   東日本大震災の2日前の3月9日にグローバルビジョン発表会を行ったかと思うと、翌4月にはマイクロソフトと次世代テレマティクスのプラットフォーム構築に向けた戦略的提携についての基本合意を表明。今回のセールスフォース・コムとの提携によって、マイクロソフトAZUREのプラットフォームに加えてオープンソースプラットフォーム領域におけるクラウド環境構築も視野に収まった。

   書いている本人がよく内容を飲み込めていないのですが、限界費用の面で壁のある製造業にとってもっとも効果的な競争力獲得の手段に決定的な強みが加わった‥‥ということになるのだろうか。それはともかく、私自身の個人的て興味としては、FREE(無料)が基本となるオンラインテクノロジーがどのようにクルマの商品的魅力と噛み合うかにあったわけです。

   具体的には、今年の暮れに登場が予定されるFRスポーツカーFT86でトライされているというデジタル世代を取り込むアイデアとの関係でしたが、残念ながら会見後の質疑応答では指名を得ることが叶いませんでした。

   今回の発表では、"TOYOTA FRIEND"は来年以降登場予定のプリウスPHVやEVへの新たなコミュニケーションツールとして活用されるということでしたが、もちろんデジタル世代に食い込むことを大きな目標に掲げている新世代のスポーツカーに使わない手はありません。

   どのような形でそれが実現するか今のところは不明ですが、これまでにない枠組みでのクルマの魅力を訴求するとFT86の開発首脳から直接聞いています。

   既存のクルマの価値観を超えるデジタルな魅力の創造。それは携帯からスマートフォンへの進展によって単なる電話機からPCに代わる情報端末へと進化しつつあるケータイを凌ぐ、クルマそのものの進化や価値観のパラダイムシフトをもたらすことになるかもしれない。すでにグランツーリスモのポリフォニーディジタルとのコラボレーションは明らかになっています。

   これまで知り得なかった新しいFRスポーツカーの世界が、あと半年後にもたらされるかもしれません。8年ぶりのオフィシャルブログ復帰ということでちょっと妙に力が入ってしまいました。でも、濃いめの話はしがらみのないここでするのがいいですね。この他にも、ツイッターやフェイスブック、carviewのスペシャルブログに加えてあといくつかのブログとメルマガを立ち上げるつもりでいます。

   自前のメディアで思う存分ジャーナリスティックに情報発信をする。すでにそれが十分可能な時代になっています。できるところまで突っ走ってみようと思うので、どうか皆さんサポートよろしくお願いします。期待するのは、ただひたすらアクセスして読んでもらうこと。異論反論はもちろん大歓迎です。

   蛇足ながら‥‥‥

   3.11東日本大震災は、間違いなくこれまでの私たちの生き方に疑問を呈し、これからの価値観に大きな変更を求める大きな転機となりそうです。被災地を巡って得た強烈て印象は、必ずや何らかの形でフィードバックしなければと思っています。

   まだ事態は始まったばかり。諦めることなく、より良き方向へと進んで行こう。再スタートにあたっての、現在ただいまの率直な気分であります。