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2024年4月25日木曜日

古希+2(=72)歳、再びここから発信しようと思います!!

 長い長いトンネルを抜けた気分……現在只今の偽らざる心境だ。2017年正月早々の怪我(脛骨骨折)以来、ここ数年はかなり深く沈んだ。

 一昨年などは三度の救急搬送&入院に二度の外科手術を経験。ICUには延べ一週間以上、入院生活はほぼ一月近くを費やした。不幸中の幸いで、COVID-19パンデミック禍の真っ只中ということもあって人知れず深刻な事態をやり過ごすことができた。

  このまま社会復帰は難しいかと思われたのだが、経過は極めて順調。加齢に伴うポンコツぶりは進行中とはいえ、意気軒昂に生きている。10年以上配信を続けている"まぐまぐ!”のメルマガ『クルマの心』”は、このところ遅配/未配信が続いているが継続の意思に一点の曇りもない。

  最新の配信を読み返してみると、我ながら言いたいことがきちんと述べられている。これが自画自賛なのか客観的にどう読まれて如何なる評価が下されるか。知りたくなって、ここにアップしてみます。率直な感想を頂けるとありがたい。よろしくお願いします。

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       伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』          
       第542号 2024.4.9配信分 

 ●あなたが経験した最高速度は何km/hですか?

  いつまで古臭い昔話を続けるの?そんな声が聞こえてきそうだ。
 人間長く生きると話も長くなる。見聞きした情報量の多さが影響
し ているという実感があるが、もちろんそれだけではない。

  いったい何時まで『右肩上がりの成長』を続けるつもりなのか?
 これは世代論に逃げて答えを先延ばしするのではなく、現代を生き
るあらゆる世代の人々に問いかけたい根源的なテーマだと思う。

 『技術の進歩』は現代人の身体機能を大きく拡張した。草創期とな
る19世紀から見れば、クルマはとてつもないスピードを手に入れて
いる。単に身体が負担する労力低減だけを問うなら、ここまで速く
走れる必要はない。

  高性能なクルマだけが用意されても、それが走る道路を始めとす
るインフラのレベルアップは不可欠だ。あらゆる条件を異とする不
特定多数が場所と時間を共有する。クルマが一部の富裕層だけの存
在に限られた昔ならともかく、地球上に13億台を超えその大半が都
市部に集中している。

  現実問題として、クルマのパフォーマンスは唐の昔に過剰性能の
領域に達している。とくに肝心の人間の身体機能/感覚にとっては
そうで、人力のMAXスピードを遙かに上回る『性能』を大衆が手
に入れて久しい。

  スキルも身体能力も価値観も異なる老若男女が、同時に路上に存
在している。誰もがその事実を知っているはずなのに、過剰性能に
ついて語られることはほとんどない。自動車モビリティの健全性を
保つためには、むしろ一定以上のスピードは害悪となりかねない。
100km/hは50km/hの倍速であり、200km/hは100km/hの2倍速
……右肩上がりを是とする論調が絶えないが、果たしてこのような
考え方は 健全だろうか。

  現実問題として、200km/h以上のスピードを(日常的な環境におい
て)経験した人はどれだけいる?私が運転免許を取得した1970年に 
は100km/hを試す環境が整いつつあった。しかし、当時のクルマの
保有は乗用車に限れば約730万台、約810万台の商用貨物車より少な
く、二輪を含むその他を合わせても約1650万台でしかなかった。

 さらに言えば、運転免許(全てのカテゴリー)の保有者数は約2650
万人。クルマの保有も免許保有も現在のそれぞれ約3/5倍に膨れ
上がっている。昭和末期約20年、平成以降約30年の合わせて50年余
りの変化を具体的にイメージ出来ている人は、今となっては少数派
であるはずだ。

  昭和の末年1989年1月7日が昭和天皇崩御による改元のタイミン
グだった。平成時代の30年間に乗用車は倍増し、運転免許保有も約
2200万人増えている。私が本メルマガで繰り返し延べている(平成
以前の)昭和は知る人が減る一方の昔話になりつつある。

  それ故、繰り返し語られても困るし、平成以降も一向に衰えない
『右肩上がり指向』の何が悪いのか分からない。ここで”老害”を
 問題視されても困るのだが、近視眼的思考に面と向かって危惧でき
るのはそれなりの時空を生きた者ならではだろう。

 人間、実際に体感していない物事を理解するのは骨が折れる。語
れる者が語らないと継承も覚束ない。”知らぬが仏”とも言うが、
長い目を持ちたくても持てない若い世代は、少なくとも『聞く耳』
を持った方がいい。この歳になって実感する永遠の真理だろう。 

 なまじ腕が縮こまるような経験論を振りかざすより、若さの突破
力に期待した方が良い。いずれも、もっともな考え方であり尊重さ
れていい意見だが、私が繰り返し発信し続けるのは身体を強く意識
するからだ。あえて「からだ」と開いているが、これは頭でっかち
に陥った『脳化社会』に対応したものだ。いやいやそうは言っても
死ぬまで『身体』と一緒じゃん、という身も蓋もない経験則をベー
スにした判断による。

 ●人は何のためにクルマに乗るのだろう?

 古希+2歳。もうすぐ後期高齢者になる老人で、人生100年時代
が本当ならまだ4分の1以上寿命が残っている勘定だ。いつまで達
者でいられるか。先のことはまるで分からないが、願望は強烈だ。
「サルコペニア」や「フレイル」を遠のけて”ピンピンコロリ”で
天寿を全う出来たら最高だろう。

 いずれにしても、身体(からだ)という我が身は解っているよう
で実は謎だらけ。そこにスポットライトをあてつつ『技術の進歩』
の恩恵を受けここまで来たということだろう。私の子供時代から見
たら現代は完全に別世界。未来もそうなるに違いないのだが、肝心
の我が身の命は有限だ。それ故ということになる。辿ってきた道の
りと我が身を重ね合わせながら、クルマ(の面白さ)を語って行け
るとしたら、これ以上の幸せもない。

 近頃「クルマでアンチエイジング」なるフレーズを多用している。
これは54年の運転免許歴を積み重ねる中で辿り着いた一つの境地と
いう気がする。10年以上前に始まった還暦時代はもちろん、50代で
も考えもしなかった。働き盛りと言われる40~50歳代には思いも寄
らない肉体の衰えが、60歳を超えるとまさに『階段を転げ落ちる』
が如く立ち現れた。当然、感覚もである。

 さらに古来希(こらいまれ)なりが語源の古希70歳ともなると、
肉体的な衰えに加えて精神(頭脳?)も怪しくなった。それら自覚
の芽生えはすべて具体的で、”あれっ?”と感じる瞬間が頻繁に訪
れる。身体機能や感覚系の衰えは万人にやって来る。

 加齢は、基本的にフィジカルを前提にしているドライビングにつ
いて、より一層深く考えるきっかけとなった。身体は生きているか
ぎり身も蓋もなく付いてくる。果たして我々はカラダの存在を無視
したような『脳化社会』を望んでいるのだろうか? 

 ここから仕切り直すつもりで話を進めないと、クルマの未来が歪
みかねない。タイミングとしては今がギリギリではないだろうか?
そんな思いを強くしている。

 私の場合、クルマとの出会いは”運” の要素が大きかった。初めか
ら山あり谷ありの連続で、瞬く間に半 世紀超の時が流れた。凹んだ
年月を20年近く過ごしているが、先行 きハッピーエンドになると固
く信じている。

 さすがに草臥れてきたが、このメルマガ『クルマの心』で吼える
気持ちは残っている。最大の関心事であり、問い掛けたいテーマに
ヒトとクルマの関係がある。果たして『自動運転』は人々が求める
世界を創造するのだろうか?あなたは、この問い何と答えるだろう。

 首から上(の脳内)でイメージされる理想と首から下(の四肢身
体)の満足は一致するだろうか。難解な設問だが、要するに『人は
何故クルマに乗るのか?』ということである。

 おそらく、100年前にはこのような問い掛けはあり得なかった。
庶民がクルマに乗ることなど想像すらできない自動車の大衆化以前
のことだ。すでにクルマは発明され、フォードによってアメリカに
モータリゼーションの新風が吹いていた。 

 しかし日本はまだ大八車主流の時代。当然富裕な上流層によって
クルマは珍しい存在ではなくなったはずだが、今日の8000万台超の
自動車保有の景色とは別物だったに違いない。私にしても、生まれ
るのが10年早かったらまるで異なる人生を送ったに違いない。

 現在スーパースターと呼ばれるアスリートもわずかなタイミング
のズレで成り損なう可能性があった。当代切ってのF1チャンピオ
ンにしても、100年前には何のステイタスも持ち得ない。良く言わ
れる話だが、この現実に気付けるのは一部の天才に限られるはずで、
大方の若者はラッキー/アンラッキーの狭間を無自覚に生きている。

 ●クルマの本質は何も変わってはいない。

 すでに私は過去を辿れるだけの年月を過ごしている。自動車人と
して54年キャリアを重ねた結果で、クルマのあれこれについて語れ
ることは少なくない。当然のことだが、半世紀前と現在では似て非
なる別世界になっている。そして、半世紀後は今感じている変化と
は比べ物にならない(旧い頭ではまったく理解不能な)状況が広が
るに違いない。

 時は流れる。50年前には考えもしなかった事象が今ゴロゴロある。
高齢者と括られる歳になれば誰でも思うように、現代目線で未来を
正確に見通すことは困難だ。『人生100年時代』と言われているが、
長生きが残酷の極みとなる可能性も否定できないだろう。

 時代は『技術の進歩』によって進む。これまで生きた実感として
断言できる。テクノロジーのお陰で今も生きている。私には語れる
実感が(身体的な経験として)ある。一寸先は闇というが、未来が
まだ残されている。そんな気分とともに私はこの瞬間を生きている。

 現代の医療技術に救われた。この事実を強く感じる。病や怪我と
生死は表裏一体。鶏と卵の関係にあるようだ。江戸時代なら、いや
戦前の昭和生まれでも、不惑前にあの世行きがあり得た。ここまで
経験を重ねると、さすがに無闇な生への執着はなくなる。少なくと
も明日果てても不思議はないと思えるようになった。諦念ではなく
恐怖心は薄れている。先行きは分からないが、今ではアッケラカン
と思ったことを言えるし、言わなければという気分に満ちている。

 実を言えば、この間クルマは何も変わってない。原動機があって、
動力が伝達装置を介してタイヤに伝えられる。タイヤは基本4本。
それが車体の骨格ボディ/シャシーに括りつけられ、ドライバーが
シートに座り、ハンドル、A・B・Cペダル、シフトレバーを操作
して走らせる。基本的な構造もその概念もすべて初期の延長線上に
あり、微動だにしていない。

 アドオン(add on)やアップデート(update)は頻繁になされた
が、走ることで移動を満たすというモビリティ(mobility)の本質
に変化は見られない。そこで『ヒトは何故クルマに乗るのか?』と
いう質問である。

 最近では自動運転がトレンドとなっている。その未来が確定的で
あるかのように語られてもいる。あたかもクルマが頭脳を持つかの
ようだが、ここは注意深く考える必要がある、と思う。 

 そうなることは果たしてハッピーだろうか?この問い掛けは、右
肩上がりの成長路線の試金石に成り得る。そもそも、ハードウエア
それ自体には自ら動くという概念は存在しない。基本的には誰かの
意志が必要になるはずで、現在只今のの状況を正確に記せば、自動
運転やそれに至る道筋には人の介在が不可欠と言う他ない。そうし
た場合、搭乗者に『幸福』な状況は訪れるか?ということである。

 ●時速300km(=84m/秒)に耐えられるか?

 あくまでも私見だが、クルマは基本的にヒトの身体感覚や機能の
拡大装置にある、と考えている。クルマの走りは、移動という身体
機能拡張の概念に他ならない。スピードはその価値を測る上でもっ
とも重要で、価値観を測る要素でもある時間(の短縮)が問題にな
っている。移動に関わる時間をセーブして、乗る人の可処分時間を
コントロールする。

 そこで消費される時間が問題視され、ロス成分を取り除くことが
目的化していたわけだが、この場合(というよりこれまでは)最終
的に運転するドライバーの意志やスキルへの対応が中心となった。
ヒトが各々固有に持つ『限界』とクルマが備える『限界』の差分の
常に浮上し、その解消が課題になっていた。

『FUN TO DRIVE』はその代表例として知られる。自動運転が普及
/浸透すれば確実に死語となる言葉遣いだが、『何の為に乗るのか』
を考える上で外すことができない価値観だろう。自らの身体を介し
て走らせる(操る)行為は、クルマという商品のど真ん中に位置す
る。それが生む”自由”こそが何物にも変えがたい価値の源泉になっ
ている。

  私は、その事実を大前提に議論を進める必要性を強く感じている。
 技術の進歩を阻むつもりは1mmもない。ただし、その方向性につ
いてはもっと議論が深まっていい。首から上の『頭』だけで考える
のではなく、首から下の生身の身体(からだ)にとって「どうなの?」
が余りにも語られていない気がする。カラダは生きているかぎり身も
蓋もなく付いて回る。300km/hは凄いが、対応できる身体感覚を持
つ人は極めて少ない。

 技術や法律の観点からすれば、従来の自動車には運転者の存在が
必要不可欠だ。『もしもの時』誰が責任を負うか。核心的な議題で
あると同時に、ビジネスの側面から見れば真正面から取り組む必要
があるテーマとなる。商品的魅力が乏しければ、そもそもビジネス
が成り立たない。いわゆる過剰性能が好まれる最大の理由だが゛、
これに対応できるドライバーはほぼ皆無といっていい。

 であるなら、ドライバーが好ましく感じられるようメカニズムを
調整する”必要”が生じるはずだ。何が快楽をもたらすか。嗜好や
居心地の好さが期待され、快感と感じられる所作や挙動や音色など、
五感に響く感覚要素が優劣の分かれ目になってくる。

 この場合評価の主体は当然運転者だが、その軸は人それぞれにあ
り、好みも千差万別に異なる。開発者はやむを得ず自らを判断基準
としながら、(技術者の)集団体制でクルマを形作ることになる。
そこには万人に受けの"正解"はなく、偏(ひとえ)に開発者の個性
が色濃く反映されるばかり。

  その(エンジニアの)好みに従えるかどうか。”味わい”は個別
のメーカーごとに異なるのが一般的だ。移動(モビリティ)とは、
自前の身体だけで完結させるというのでなければ、誰かに合わせる
必要が生じる。要するに自動運転へと至る省力化の流れには、あな
た以外の誰かの好みに合わせることが含まれる。それは価値判断を
『他人』に委ねる行為と置き換えることもできるだろう。

  再度訊く。それでもあなたは自動運転を望むだろうか?自動運転
車は、従来のクルマとは別物と考えた方がいい。私は心底そう思う。
技術の進歩の方向は依然として自動運転を向いている。運転が不要
になる気配濃厚で、それが夢の社会を運ぶかのような空気が充満し
ているが、そうだろうか?その前提条件として「今まで通り」を改
め社会システム全体を再構築するといった発想の転換が欠かせない。

 従来とは根本的に異なる社会システムがないと、いたずらに混乱
を招くだけではないだろうか?既得権益層との衝突も避けられない。

●クルマの最大価値は何だと思いますか?

 何言ってるの?と思うだろうか。完全な自動運転車が実用化され
た暁には、交通警察や自動車保険など多くの従事者が不要になる。
だって、ひたすら高性能を追及する今までの自由な設計は事実上不
可能になる。運転の主体は搭乗者になく、所有と使用の分離も避け
られない。

 そうなると「誰が責任を持つの?」に対する答えが欠かせない。
平成の30年間を通じて(昭和の流儀の大半を)何も変えようとして
来なかったことを考えると、余程の天変地異でも起こらないかぎり
(長い間蓄積された保守的な社会構造は)変れないだろう。

 いや大丈夫。ここ数年で急速かつ劇的に進化を遂げた生成AIを
もってすれば有効な答えは見つかる。そうだろうか?自動運転車は
それほどまでに必要不可欠な技術展開なのだろうか。

『人は何のためにクルマに乗るのか?』改めてこの設問について考
える必要がある。自動運転やCASE(ダイムラーAGツェッチェ
CEO=当時がパリショー2016で初めてこの言葉を用いた)などを
用いた次世代車が引き起こす社会の変化は、率直に言って想像を絶
する。

 すべては、これからの時代を生きる世代の判断に委ねられていい
のだが、身体(からだ)にこだわる発想を忘れてほしくない。未来
が痩せ細った老人が口を挟む領域ではないかもしれないが、時代が
大きく転換しようとしているのは紛れもない事実だろう。

 ところで、クルマの最大価値は何だろう?私が第一に掲げるのは
ランダムアクセス(random access)。思った時にいつでも走り出せ
ることだ。自由というがポイントで、その意味ではあらゆる制限は
排除されていいが、不特定多数が路上にひしめく混合交通には法的
制約が欠かせない。レギュレーションによる縛りは必然だろうが、
それをクリアできたとしたら真っ先に取り組む必要があるのは魅力
作り。走りのイメージの創出やデザインが個性の分かれ目だろう。

 私はドライビングを語る上で「イメージ」という言葉を重視する。
思い通りにクルマ(メカニズムの集合体)が動いてくれるかどうか。
ここに強い拘りを持つようにしている。この『思い通り』が曲者で、
描く像は人それぞれ。実際には口で言うほど運転は簡単ではない。

 運転スキルは各人各様。レベルが違えば価値観そのものも異なる。
これらが渾然一体として路上を走っている。人間ただ歩くだけでも
他人と衝突する。十人十色は良いことばかりではなく、人それぞれ
厄介だ。もともとクルマに意志はなく、常にハードとしてのクルマ
としてそこにあり続けていた(はずだ)。

 一体全体、事故を起こしているのは運転している人なのか、それ
とも無機質なメカニズムの集合体でしかないクルマなのだろうか。
人はミスを犯す動物と言われる。フェイル/セーフはその現実から
導き出された概念。なるべく事故を起こさないよう経験則に従って
綿密に積み重ねられおり、安全に対応するように考えられている。
それでも不測の事態が無くならないのは何故だろうか?ここには別
の要素が潜んでいるはずなので、今後の展開を待つことにしよう。

 クルマの『技術の進歩』は、これまでのところ高みを目指してほ
ぼ一直線に突き進んで来ている。その多くは労力や習熟に関わる時
間の短縮に傾けられた。そして、乗る人の身体的負担をメカニズム
(機械)や制御システムを介して軽減することを目的に、一貫して
右肩上がりを指向してきた。安楽さであることは何よりも重要な指
標になっている。

 しかし、それでもなお万全ではなく、万人向けに対応する平準化
を図るために(システムを動かす)ソフトパワーを必要としていた。
道路交通法などの法律が好例だ。ルールに縛りつけることによって、
性能による能力差を極力表面化させないように尽力した。国の体制
如何に関わらず、自動車を野放しにはしていない。

●高性能の『レベル』を競うことがこれまでの主流。これからは?

 一方で、クルマにはビジネスの側面が色濃く存在する。収益性の
向上はすべての工業製品(プロダクト)に共通する概念だが、その
手段としての差別化は至上命題とされるほど重要だ。最大の要因は
デザインだと思うのだが、メカニズムによって産み出される”走り
のパフォーマンス”は違いが分かりやすいという意味で即効性が際
立っている。

 実際にその性能を試さなくても、数字で表される『情報』は頭で
分った気分に浸ることができる。フィジカルに身体能力を問われる
事実よりも、メンタルが満足することに重きが置かれる。身体性よ
りもヴァーチャルな世界観が優先されるという意味で、情報化社会
の今らしいと言えなくもない。

 高性能という『レベル』を競うことが主流となり、いつの間にか
操る人の存在は主従の従になっている。メディアの発達と一体とな
って進んだ情報伝達手段の普及が、クルマから身体性を剥ぎ取って
いる。時代の変化といえばそれまでだが、(数字で優劣がつけられ
る)走りのパフォーマンスは(誰もが分った気にさせる)商品価値
として重要度を高め、欠かせないアイテムとなった。

 実際その恩恵に与れるかどうかはともかく、情報そのものに価値
が生まれるようになった。メディアの発達がそれに輪を掛けたとも
言えるが、いずれにしても技術の進歩が影響している。この辺りを
時系列で語って行くことにしよう。

 分水嶺は1988~1989年。昭和の終焉と平成30年間の狭間にあった。
すでに昭和時代は36年前の彼方であり、私らが20代の頃に明治時代
を想っていた感覚だろうか。”現役世代”にとっては爺さんの昔話
に聞こえるかもしれない。

 だが、私にしてみればこの辺りがちょうど昭和と平成/令和の中
間点。20~30代という吸収力に長けた時代を過ごした昭和の記憶が
鮮烈なのは当然で、40代を世紀末の1990年代、50代をミレニアムの
2000年代を過ごした頃は記憶に新しい。

 経年変化という言葉があるが、世の営みは人の成長過程と社会の
変動の掛け合わせによって解釈が異なる。時代の継承という歴史を
伝える努力を怠ると、問題がこじれて修復が困難になってしまう。

 『自動車は時代を映す鏡』歌謡曲で用いられたフレーズのパクリだ
が、近代そのものであり工業化社会を象徴するクルマはまさに世相
を反映して変化し現在に至っている。

●1989年に発表された『ヴィンテージカー』の”意味” 

 1989年まで日本車の基本は小型車にあった。いわゆる5ナンバー
枠に収まる独自の規格で、全長4700mm、全幅1700mm、排気量
2000cc 以下が代表的な数値だろうか。

 それ以前は海外生産モデルを除けば、 日本車で3ナンバーの専用
ボディ車はセンチュリーとプレジデントというトヨタ/日産を代表
する少量生産のハイエンドモデルに限られ、1988年に日産がY31型
セドリック/グロリアベースで仕立てたシーマが驚愕の売れ行きを示
したことで時代を象徴した。

 そのきっかけは1985年9月のG5プラザ合意にあった。日本円の
為替レートが一気に2倍に跳ね上がり、円高不況から一転急騰した
日本円が行き場を失い国内外の不動産投機を招いた。

 結果としてバブル経済に突入する訳だが、今では不動産と株式だ
けがバブル化しただけで、物価はほぼ正常が保たれたことか判明し
ている。金余りから金融機関が土地バブルを煽り、金融当局の世論
に圧された総量規制を伴う引き締め策の結果金融機関の貸し剥がし
を招き、バブル崩壊に至った。

 すべては後知恵で当時は何のことやらサッパリだったが、これに
輪を掛けたのが政府行政機関の無為無策だ。無謬性を念頭に置いた
前例主義であり、縦割り行政であり、それらの掛け合わせによる失
政の連続だった。近年では既得権益に群がる官僚機構の天下り問題
が可視化されつつあるが、国民の”お上意識”やメディアの”報じ
ない自由”の行使によって改善の見通しは立っていない。

 それはともかく、1989年に発表された『ヴィンテージカー』とし
て振り返られる一連のクルマは、輸出中心の高級セダンやスポーツ
カーを除けば5ナンバー枠小型車で占められた。

 その代表例が日産のスカイラインだろう。R32として今もなお名
 機の誉れ高いが、そのメインシリーズは排気量2000cc級のRB20系
直6エンジンモデル。構造上左ハンドル化が不可能な国内専用機種
で、だからこその5ナンバー枠に収まる仕立てだった。

 R32GT-Rについては本稿で何度も繰り返しているので深追い
は避ける。奇しくも1985年に始まったグループAの車両規定にフル
コミットすべくエンジン/シャシー/ボディ/パワートレインを専
用に開発。結局のところGT-R(R32・33・34)は、3世代13年
に渡ってわずかに7万台余が販売されただけ。その影響で進行した
メインシリーズの凋落を考えると日産不振の最大要因に掲げられる
存在でしかなかった。

 この年に”大物”が大挙フルモデルチェンジしたのは、1985年の
G5ブラザ合意による円高のせいだ。特に海外市場を重視した輸出
モデルについては為替変動による”利幅”の減少を抑えるべく商品
力を思い切って上げる必要に迫られた。一方で、貿易摩擦の影響で
長く輸出自主規制が敷かれた経緯もあり、主力の北米市場における
輸出量はセンシティブにならざるを得ない。

●輸入外国車が普通の存在になったのは21世紀に入ってから

 日本国内ではカタログ表記は280馬力までとする『自主規制』を
掲げる一方で、輸出モデルについては同じ機種でも出力表示がこと
なる事例も出ている。この280馬力”自主規制”だが、日本車が世
界のパワー競争に火を着けたことを指摘する声は稀だ。

 しかし、事実として日産の300ZX(フェアレディZ)は具体的
に競合する北米市場でポルシェ911の脅威となったのは間違いない。
というのも、当時の911(964)カレラのベースモデル(NA)は250ps。
ターボでも320psに留まっていた。1993年に追加された3.6Lターボ
は360psにまでスープアップされたが300ZXや輸出市場には出ない
R32GT-Rがプレッシャーとなったのは間違いない。

 また、翌1990年登場のホンダ(というよりアキュラ)NSXは、
世界のプレミアムブランドで知られるフェラーリのクルマ作りを根
底から改めさせている。それまでの348の旧態依然から355へのリフ
ァインにNSXが関与したのは疑いようのない事実だ。

 実は、日本の国内市場で輸入外国車(とくに欧州ブランド)が一
般化したのはバブル期だった。1988年登場のシーマが500万円のプ
ライスタグで飛ぶように売れたことで『箍(たが)』が外れたのに
加え、円高/ドル安の為替レート変動によって相対価値に変化が生
じて輸入物価が劇的に下がった。

 それ以前はいわゆる”高嶺の花”であり、ステータスシンボルと
なり得る価値が輸入外国車にはあった。超円高期に世界一安くクル
マが変えた時期もある。輸入外国車がごく普通の存在になったのは
実は21世紀に入って暫くしてから。そう言い切ってもいい。

 ここから先は倒叙法で歴史を遡ったほうがいいだろう。プラザ合
意は、二度のオイルショックと53年排ガス規制を克服して活気を取
り戻した国内各社(乗用車メーカーはまだ大手9社が存在した)に
よる国内販売シェアを巡る競争に一層の拍車をかけた。

 そのアイテムにハイテク/ハイパフォーマンスの潮流があった。
電子制御技術を駆使して、パワートレイン系に世界最先端を究めた
デバイスを惜しみなく注ぐ。4WD、4WSに16バルブDOHC…
…車型にしても、3列シートのマルチピープルムーバーやガルウィ
ングドアのFFコンパクトスペシャルティを初め現在世界中で流通
しているメカニズムのほとんどは、この時期の日本車のデザインを
原形にしている。

●初代クラウン(RS型)は1500ccしかない非力の極み

 暗黒の1970年代の前が高度経済成長期。この時代を振り返ると、
日本車がいかにコンパクトだったか分かる。モータリゼーション元
年と言われる1966年(昭和41年)からの4年間は、ヴィンテージイ
ヤー(1989年)に先立つ最初の黄金期だが、今見るとどれも儚く思
えるほど小さい。

 草創期まで一気に遡ると1955年(昭和30年)の初代クラウンRS
型に行き着く。私は幼いころこのクルマのステアリングホイールに
手を掛けている。横浜港でとったモノクロ写真はどこかに消えてし
まってないが、絵柄はハッキリと記憶している。

 このクラウン、最初は1500ccしかなかった。これが当時の日本の
実力で、3年後に北米進出を目指すがアメリカのフリーウェイを走
るには明らかにパフォーマンス不足で、早々に尻尾を巻いて帰って
来た。70年近く前の現実で、現在の中国を笑う気にはなれない。

 完全にセピア色の世界であり、今を生きる現役世代にはSF以上
に遠い話かもしれない。何よりも、21世紀も早4分の1が過ぎよう
としていることを考えると、20世紀のあれこれはエンタメの世界に
落ちるに違いない。私としては、出来る限り自分事としての過去を
振り返りながら、未来を語って行きたいと思っている。

 やっとこさっとこ初代クラウンまで辿り着いたが、5ナンバー小
型車を中心とする国産車の歴史にはまだまだ語り尽くせていない話
もありそうだ。この国産の小型車史と重なるように軽自動車の80年
近い動静がついてまわる。今や国内販売シェアの40%近くを占める
日本を象徴するモビリティの形だが、語るべき事柄はいくらでもあ
るようだ。

 

以上、配信済みの全文を掲載しました。ご意見を賜れば幸いです。よろしかったら”まぐまぐ!” メルマガの定期購読を検討してください。

2022年5月5日木曜日

伏木悦郎のブログ@動遊倶楽部、再起動いたします!! その表明にあたって一文掲載。

いろいろありますが、まあ元気です。随分ご無沙汰しました。ここ1~2週間の経緯はメルマガ(まぐまぐ!メルマガ『クルマの心』第473~474号)に書いたので、ここでは明かしません。

先日youtubeで偶然見かけた竹中平蔵氏のチャンネルで知った下記の内容。過去四半世紀に渡る私の紆余曲折の依って来る所が分かる内容でした。今は亡き堺屋太一氏の遺稿ともいうべき含蓄のあるものです。再出発にあたって、まずこれを転載したいと思います。 



https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je00/wp-je00-000m1.html


平成12年度

年次経済報告

新しい世の中が始まる

平成12年7月

経済企画庁


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平成12年度年次経済報告(経済白書)の公表にあたって

「経済は変わった。そしてますます変わりつつある」。経済企画庁として最後の「経済白書(平成12年度年次経済報告)」の序文をこのように書き出せるのは、必ずしも歴史的偶然だけではない。世の中の変化が政府行政機構の改革を求め、機構の改革が経済の変質に対応しているといえるからだ。

本報告はそんな日本の経済を、二つの部分(二章)に分けて分析している。

第一章は昨年度における景気の回復と現状分析、第二章は「新技術革命」の予熱の中で迎えた20世紀最後の年から見た将来展望、とりわけ「多様な知恵の時代」に求められる人材と組織、政府の役割などを論じている。また、日本の直面する長期的課題である財政再建に関しても、マクロ経済的視点から取り上げた。今回の年次経済報告では、理論的にも実際的にも議論の多い問題を避けることなく論じたつもりである。

99年度は、いわば「どん底」からはじまった。今年(2000年)6月におこなわれた景気動向指数研究会では、戦後12回目の景気循環の"谷#は、99年4月と判定されている。それまで鉱工業生産、設備投資は7四半期、第三次産業活動指数は5四半期にわたり減少または低下していた。正に「戦後最悪の不況」である。

98年7月末、小渕内閣が発足した頃,日本経済は「三重の不況」に見舞われていた。第一は景気変動の下り坂、97年3月頃をピークとして景気は下り坂に転じた。それに財政再建を目指した消費税率の引上げや公的需要の削減、アジア通貨危機、大手金融機関の破綻などが加わり、97年末からは急激な景気下降局面に陥っていた。

第二は、バブル景気の崩壊から生じた設備や雇用の過剰と巨額の不良債権の累積による広範な経営不振の広がりである。80年代末のバブル景気の時期に過大な成長期待と際限ない地価高騰を前提として造られた施設と、そのための投融資の多くが処理されないまま先送りされていたからだ。このため自己資本の減少した金融機関は貸し渋りに走り、資金難と需要不足に見舞われた企業は設備投資と雇用を削り、将来に不安を抱いた人々は消費を抑えて貯蓄に努めた。長く先送りしてきたバブル崩壊の傷跡が一気に口開き、血と膿を吐き出したような現状であった。

第三のより根本的な問題は、日本が100余年をかけて築き上げた規格大量生産型の工業社会が、人類文明の流れに沿わなくなったという構造的本質的な問題である。明治以来日本は、欧米先進国の近代的な技術と制度を学び、専ら規格大量生産型の工業社会を目指してきた。

特に、戦後は産業経済政策のみならず、教育や地域構造、情報文化のあり方まで、これに有利なように作り上げた。この結果80年代の日本は、人類史上でも最も完璧な規格大量生産型の工業社会といえるまでに発展していたといえる。自動車や電機製品など規格大量生産型工業の生産力と競争力の強大さはそれを示している。

しかし、その頃、世界の文明の流れは、規格化、大量化、大型化の方向から、多様化、ソフト化、情報化に向きを変えていた。特に90年代中頃からは米国をはじめこの流れが顕在化し、日本の経済体質の立遅れが目立つようになった。日本は、規格大量生産型工業社会のために作り上げた多くの制度や慣習の変更を迫られていたのである。

こうした「三重の不況」の中で発足した小渕内閣は「経済再生内閣」を標榜、三段階の再建計画を建てた。

まず、98年度後半には、デフレスパイラルの回避を緊急最大の目的とする一連の緊急政策を採った。その第一は、金融行政の転換、それまでの金融機関の保護安定を主眼とした政策から市場原理を採り入れた政策へと改めた。これに加えて、金融システムの安定化を図るため、政府は、財政と金融の行政機能を分離して金融検査・監督機能を強化し、60兆円(平成12年度予算による追加を含めて70兆円)の巨大な金融再生枠を設け破綻金融機関を処理するとともに、資本の状況に懸念のある金融機関には公的資本増強などの金融システム安定化策を行った。第二には、中小企業の倒産防止、中小企業向け借り入れ特別保障枠20兆円(99年11月の「経済新生対策」による追加を含めて30兆円)を設け、民間金融機関の貸し渋りに対応する資金繰りを授けた。

第三は、総事業費17兆円を超える緊急経済対策における公共事業等の追加と平年度総額9兆円に達する恒久的減税などによる需要の拡大である。「三重の不況」によって急激に低下しつつあった経済状況にあっては、即効性のある需要の拡大が急がれたからである。

こうした政府の大胆かつ迅速な緊急不況対策によって、98年10月以降は中小企業の倒産件数が激減するなど、景気下支えの効果を発揮、99年4月をどん底にして緩やかではあるが回復の兆しを示すようになった。

こうした景気動向に対応して、政府は99年度には、景気下支え政策を継続すると共に、経済の新生を目標とした構造改革政策にも力を注いだ。すなわち、中小企業政策を創業支持と発展育成を主眼とするきめ細かなものに改め、労働市場の強化を図るなど、全社会的な構造改革にも乗り出した。

これに民間企業の側も敏感に対応、大手金融機関の合併や統合が進み、日本産業界の特色といわれた金融系列も緩み出した。また、多くの伝統ある企業で、一層の合理化と事業再編成を目指すリストラクチャリングが進んでいる。また、情報技術を中心とする新技術も広く採り入れられ、各種産業に大きな影響を与えつつある。それはこの国の経済社会構造が重大な変化を起こしつつあることを感じさせるものでさえある。

99年度における日本経済は、政策的支援とアジア経済をはじめとする外需の回復によって、緩やかながら回復を続け、深刻な不況の最悪期を脱したといえる。生産は堅調に伸び、企業収益はかなり回復した。

この結果、在庫調整は完了、民間設備投資も下げ止まりから回復に転じた。特に情報関係の設備投資が力強く伸びているのは将来の成長期待が大きいだけに心強い。

これを反映して株価も上昇、日経平均は98年10月の最低水準より2000年4月には62%上昇した。その後この指数の銘柄入替など技術的問題やそれに対する市場の過敏な反応に対する乱調はあったものの、6月以降は戻り基調が明確になっている。

また、懸念された雇用情勢も、完全失業率が4.9%を最高としてやや低下傾向にあるほか、所定外給与の増加や求人倍率の向上など改善が顕著になっている。これからの雇用政策においては、新しい労働需要に適合した技能と心象を持つ人材の育成に努め、需給のミスマッチを解消していくことが重要である。

しかし、国内総需要の約6割を占める個人消費は依然一進一退の状況にあり、国民の間に日本経済と自己の将来の収入に対する不安が解消されていないことを示している。また、人口構造の高齢化や情報化による需要の変化に、供給側が十分に対応していない面もあるだろう。この点からも一層の規制緩和と新しい知識と意欲のある創業者への支援がますます重要になるであろう。

本報告の第二章は、こうした状況をふまえつつ、日本が行き着くべき「持続可能な発展のための課題」を、主として新技術と公的部門に関して検討している。

ここで注目すべきことは、今、世界的に拡まりつつある情報技術の発展と普及は、近代工業社会が繰り返し起こして来た技術革新―電気機械や内燃機関の発達、化学工業の普及―などとは方向と性格を異にする点であろう。

近代工業社会を生み出した産業革命は、大型機械を組織的に利用することによって、大量化、大型化、高速化をなし遂げた。この結果、生産手段は巨大化し、労働力を持つ人間(個人)の所有と操作の枠を超えてしまった。生産手段と労働力の分離が進み、それに伴う「自由なる労働者」の創出と核家族化現象などが現れた。過去200年間の近代工業社会が生み出した数々の技術開発は、産業の形態や人々の生活様式を変えることはあっても、この方向を押し進めることには変わりがなかった。

ところが、80年代にはじまった小型分散型コンピューターの普及と発達は生産流通の制御を容易にし、多様化、ソフト化、省資源化を促すことになった。人類文明の流れの方向が変わりはじめたのである。

90年代に入って、米国などで急速に進んだ情報化、とりわけインターネットの普及は、さらにそれを質的に変化させつつある。情報技術はコンピューターを利用している点では制御技術と共通しているが、その最大の貢献は、社会における人と人との出会いを促進することになる。

ここでいう「出会い」とは、時には商品や金融の需給であり、時には技術と知識の採集であり、また時には共通の趣味や関心事についての個人的な組織的対話であろう。だが、その基本が物財そのもの(ハードウェア)でも、物財の使い方(ソフトウェア)でもなく、人と人との間に立つ技術、いわゆるヒューマンウェアである。

規格大量生産型の工業社会、つまりハードウェア型の発展において世界をリードした日本は、制御技術の段階までは世界の先端を進むことができたのだが、情報化の過程では立ち遅れた。規格大量生産型に作り上げられた制度と慣行と社会的心象が転換し切れなかったからである。

しかし、日本には長い伝統につちかわれた人間文化と高度な物作りの技術や組織がある。それはこの国特有の情報技術を生み出しつつある。アニメーションやゲームソフトに見られる精緻な独創性と美意識、モバイル型情報端末の利用に見られる情報短縮技法移転などである。それを大きく発展させるならば、欧米とは異なる情報時代の新社会、いわば「日本型知価社会」を形成することも可能だろう。そしてそれは日本のみならず世界の人々にも受け入れられる新しい世界文化の一端となる可能性も持っているのではないだろうか。

日本経済が持続的な発展軌道に乗るためには、そうした新しい歴史的発展段階への方向をしっかりと基礎づけることが大切である。それは決して遠い将来のことではない。今、2000年から既に始まろうとしていることである。

要するに、過去二年間の大規模な不況対策は、バブル崩壊と規格大量生産型工業社会の負の遺産の清算ともいえなくはない。100年余にわたる日本の規格大量生産型の工業化は巨大な生産力と、高度の生活文化水準と、完成した組織や制度を築き上げはしたものの、それからの脱却にもまた、多額の費用と痛みを伴う転換が必要である。日本経済はまだ、このすべてを完了したわけではないし、完了の過程ができあがったわけではない。今はまだ、その道半ばだが、これまでにも進捗が見られた部分もある。

なお、日本の諸制度や企業経営は、物価の上昇と人口・需要の増加を前提として企画・実行されて来た。それ故、物価が安定し、むしろ下落する中で、どれだけ速やかに着地点を見出すことができるか否かは重大な問題であろう。特に一部の産業の生産性が著しく向上した結果、平均物価が下落する場合の評価は分かれるところだろうが、これまでの前提とは異なることは確かである。

本報告は、最後に日本の財政の現状とその影響について述べている。日本の財政が抜本的な改善を要することは論を待たない。しかし、今の病み上がりともいうべき経済情勢を前提に部分的な問題を論じるのは危険である。本報告では、景気の自律的回復がはっきりとした段階で、将来に対する不安を払拭すべく、政府部門の効率化を進めつつ、民間部門の潜在的な需要を発現させる諸政策を完遂することで、マクロバランスを保ちつつ、財政再建について広範な議論が必要としている。

世界が、そして日本の経済社会が歴史的な発展段階の飛躍をなし遂げようとしている今は、まずは健全な経済、未来志向型の社会を築くことが重要である。来年1月に発足する政府行政機構の新体制は、そんな時代にふさわしいものにしなければならない。

平成12年7月14日

堺屋太一

経済企画庁長官



2020年9月3日木曜日

  まぐまぐ!メルマガ『クルマの心』第392号2020.8.4配信の再録 です。(前号は前段に同時既報)

有料講読(880円/月:税込)は下記へ。

https://www.mag2.com/m/0001538851 

スマホは画面を横にしてお読みください。縦だと段落がズレます。


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           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 

             第392号2020.8.4配信分


●情報に踊らされることなく……


  2020年も後半に入り早8月(葉月)。昨年11月に中国湖北省武漢市で感染

が確認された新型コロナウィルス(COVID-19)は、年が明けて世界規模に感染

が拡大。パンデミック(Pandemic)の様相を呈して半年が過ぎた。


  去る3月24日は私の68回目の誕生日でしたが、この日IOC(国際オリンピ

ック委員会)と安倍内閣総理大臣が電話協議を行い、第32回東京オリンピック

の翌2021年への延期を決めている。4月に入ってアメリカ(USA)やイタリ

アを始めとする欧州での感染拡大(感染者100万人突破)とともに、日本でも

感染者急増を受けて4月7日に安倍首相によって7都府県(東京都・神奈川・

千葉・兵庫・福岡各県・大阪府)を対象に緊急事態宣言を発出。同16日には同

宣言の対象を全国に拡大し、5月25日に解除されるまで約1カ月半にわたって

店舗の営業自粛や出社せずに自宅で仕事をこなすリモートワークなどが常態と

なった。


 その後も東京アラート(6月2日)やら東京都知事選挙(7月5日)などを

経て現在に至るわけだが、すでに感染発覚から9ヶ月が過ぎ、その間の出来事

も経緯を記す資料片手に確認しないと思い出せないようになっている。


 世界に目を転じると、もっとも深刻な感染者数と死亡者(率)の多さが深刻

なアメリカや、季節が北半球と反対になるブラジルの同被害の急伸を始め、西

欧やアフリカ、インドなど広範囲にわたって深刻な事態に陥る中、東アジアの

国々における感染者は比較的少なく、とりわけ死亡者数と感染に占める死亡率

の低さが際立っている。


 わが日本においてもそうなのだが、マスメディアの伝える報道は悪しきセン

セーショナリズムに乗り、米国や西欧諸国との相対化をデータに基づいて報じ

ることなく、いたずらに不安を煽ることで「劇場化」に邁進している観があ

る。視聴率を稼ぐ道具として扱っているとさえ思えるTVや客観的なデータで

事態の解析を試みようとしない既存メディアの報道姿勢はどうしたことだろ

う?


 科学的アプローチを怠って、情報を自らの利益のために扱っているとしか思

えない官民揃っての無責任きわまりないお祭騒ぎにも似た状況は、不信を通り

越して呆れる他はない。問題は感染者数の増減ではなく、重症化とその先にあ

る死者数の絶対数であり、それが世界の趨勢に比べて桁が二つも低い(現状で

1000人規模)である事実に触れずに、政府もメディアも不安を煽っているとし

か思えない姿勢でありながら、一喜一憂の如く”皆と一緒ならそれでいい”と

言わんばかりの従順さは何故だろう。素朴な疑問を抱いて不思議はないはずだ

が、市民社会に漂う”考えない従順さ”を強いる圧力は不気味でさえある。


●今回のCOVID-19パンデミック禍は間違いなく時代を変える


 率直に言って、感染症の専門家でもない私らが、断片的な知識の合わせ技で

あれこれ言っても仕方がない。メディアも知っていることと分かっていること

を適切に整理して、科学的なアプローチに徹する必要がある。未知のウィルス

である以上、不明の段階で右往左往しても始まらない。政府の方針をいたずら

に批判するのではなくて、経過を追いながらデータに注目して、問題を特定し

た上で評価する姿勢が必要だろう。この場合は感染者の絶対数ではなく、重症

化率やその結果としての死亡率で判断するのが合理的であるはずだ。


 医療の専門家と緊急事態における経済の専門家の知見を元に、適切な政策を

実行するのが行政の役割であるはずだが、行政官僚機構は基本的に責任を取ら

ない組織運営によって実績を積み上げた集団。いつも書いていることだが無謬

原則(自らは間違いを犯していないことを前提とした)による前例主義は、発

展途上段階ならいざ知らず、成長から成熟期に入った社会に対しては必ずしも

適切とは言えない。


 状況を正確に把握した上でのアップデートがないと変化した社会に対応する

ことが困難なはずだが、過去から現在に至る過程に誤りがないことを前提とし

ているだけに、柔軟な姿勢で臨むことが難しい。選挙で選ばれたわけではない

役人組織は、長い歴史に育まれた伝統に囚われやすく、個人の資質よりも組織

の論理が先に立ちやすい。そこを選良として選ばれた国政代議士がリーダーシ

ップを発揮して変化を促すべきところだが、強固に組織化されたプロフェッシ

ョナルな行政府(官僚機構)に対する政治家に官僚を御する人物がいない。


 おそらく今回のCOVID-19パンデミック禍は、それ以前と以後を明確に分け

時代の分水嶺となるに違いない。日本における感染拡大は、アメリカやブラ

ル、ラテンヨーロッパなど大きな被害をこうむった国々に比べれば遥かに軽

だが、世界がグローバル化して四半世紀。世界経済の停滞はちょうど100年

の20世紀二つ目のディケードに世界を変え、20世紀の本格始動を促した『ス

イン風邪』のパンデミックと世界恐慌から第二次世界大戦に突き進んだ歴史

繰り返しかねない状況にある。


  それまでの蒸気機関中心から内燃機関へとエネルギー革命をともなう変革が

訪れ世界のあり方がガラリと変ったように、時代は大きく変化する予感を抱か

せる。私は今年でちょうど自動車歴50年を数え、根っからの自動車人として内

燃機関を愛し既存のクルマで生涯を閉じたいと考えている者だが、ことによる

とここ数年で大きく時代が動くことになるのかもしれない。


●21世紀を俯瞰すると、日本車の未来は明るい!?


  すでに2020年であることを強く意識する必要がありそうだ。20世紀末に浮上

した資源・エネルギー・安全という、クルマがその誕生以来背負い続けてきた

重い十字架が存続を賭けた問題となって久しい。


  地球温暖化という"ちょっと怪しい"環境問題や、長年に渡って枯渇が喧伝さ

れながら一向にその気配を見せないエネルギー問題、テクノロジーによってか

なり克服が進みつつあるように見える安全問題などは、どうやら危惧されてき

た状況とは異なる方向に動き出したとも言われ始めている。


  これまでの国連による地球総人口推計では21世紀末には地球総人口は100億

人を突破すると見られていたが、どうやら今世紀中頃(2050年)にはそれまでの

人口増加から減少に転じるという説が有力になりつつある。2040~60年の間に

90億人のピークに達した後は減少に転じ、今世紀末には現在の75億人レベルに

戻り、その後は二度と増えることはなく減少を続けるという見方が有力になり

つつある。


  すると、かねてより懸念されていた人口爆発による資源・環境・安全の諸問

題は杞憂に終わり、テクノロジーの進歩にともなう人間の身体機能の補完技術

によって次ぎなる22世紀は自然と(デジタル)テクノロジーが調和した世界にな

る? 未来予測は実際にこの目で確かめないと俄かに信じることはむずかし

い。


 この場合、どうなるかという”アナタまかせ”の予測ではなくて、オマエは

どうしたいのかを述べる”ワタシの希望”を語るほうが建設的な気がする。こ

のところクルマの話題では全自動運転や次世代エネルギー車がホットコーナー

化しつつあるが、地球の総人口が今世紀央で減少サイクルにターンオーバーす

るということになると、はたして酷寒や酷暑の地では物理的な性能としても厳

しく、エネルギー供給のインフラ整備という面でも困難がともなうバッテリー

式電気自動車(BEV)が最有力のリソースになるとは思えない。


 動力性能やパッケージングの面での最適化やミニマイズによって既存の内燃

機関自動車を再定義した方が、リサイクルを前提とする持続可能な開発を目標

とする社会にはむしろ好都合ではないだろうか。世界的な覇権を握りたいアメ

リカ西海岸のTechcompanyの意見は異なるだろうが、限られた資源を有効に使

う日本的な発想は十分に競争力があると思うのだが。


●アウディ100(C3)は136馬力で200km/h超を実現していた。Cd=0.30


  ここで2020年8月の伏木悦郎からの提言を試みようと思う。まず第一に、す

でに1973年の第一次石油危機によって世界の自動車市場から撤退を余儀なくさ

れたアメリカ車と同様の意味で、日本車のヴィンテージイヤー1989年に280馬

力の自主規制を所管の運輸省に呑まされた和製ハイパースポーツに触発される

形で"アウトバーンの論理”を武器に技術的覇権を握ったドイツ車が、ここに

来て立ち行かなくなろうとしている。


 最初の躓きは、2015年にアメリカで発覚した『ディーゼル排ガス不正』にあ

る。火種はさらに遡る1990年代のベルリンの壁崩壊(1989年)にともなう東西

ドイツ再統合と、冷戦構造の終焉がもたらした電磁パルスの恐怖からの開放に

ある。旧東ドイツの復興が手かせ足かせとなる一方で、バブル崩壊後に国内市

場の拡大を諦めた日本車がグローバル化へと踏み出し、主戦場を国内から海外

市場へと大きくシフトした。


 ドイツ本国は日本の自動車市場(約500万台規模)よりもさらに小さい300万

台規模。EUの市場統一によってまずはヨーロッパでの覇権を握り、リスクを

取って早期に市場参入を決断(1984年のフォルクスワーゲン=VW)したこと

で今日の中国における外資系ナンバーワンの地位を得、EU以上に中国市場依

存を高めているが、1990年代はアップデートの真っ最中。1980年代のドイツ車

は質実剛健を地で行った。


 たとえばアウディ100(C3=1982年)などは2.1リットル直5SOHC136馬力

200km/hの巡航を可能にしていた。ボディの空力性能を徹底的に磨いて(Cd値

3.0)低燃費と高速巡航性能を両立させる新機軸は、当時の西ドイツの置かれ

立場を象徴する。翌1983年デビューのメルセデスベンツ190E(W201)も同様

きを放った。Cd値0.33という優れた空力性能を発揮する5ナンバーサイズ

ィに115馬力の2リットル直4を搭載して190km/hに迫る高速巡航性能を実

る。この他にも近く再上陸が予定されているオペルのベクトラでも同様の

のクルマ作りが話題を呼んだ。


  冷戦構造が強固な時代の(西)ドイツ車は、例えばエンジンの燃料供給にして

もフル電子制御化は避けられ、半電子半機械式のボッシュKEジェトロが用いら

れている。ドイツ車が電子制御デバイスに傾倒するのは1990年代の中頃以降。

それは電磁パルスを恐れた結果と見るのが合理的だが、日本車の充実が危機バ

ネとなったのと同時に、高出力・高性能=高速化にジャーマンスリーの全モデ

ルが歩を揃えたのは、日本車のキャッチアップ攻勢を振り切ろうとしたから。

そこにアウトバーンやニュルブルクリンク(北コース)といった環境がブランデ

ィングに効果的だったのは事実で、それが今でも日本の自動車メディアのある

種規範となっている。


  島国日本では、海外の現実に触れる機会は多くない。パスポートの保有率が

先進国としては異例に低い25%というデータが示すように、TVの情報番組に

よる”知っているつもり”が大半で、身を以て分かっている確率は極端に少な

い。それをいいことに自動車メディア/ジャーナリストはドイツ企業の”ジャ

ンケットツアー”に乗ってパブリシティに励む。すでにモータリゼーション元

年(1966年)から半世紀以上過ぎた現在にそれはない。昭和の発展途上段階で

あれば聞けたが、未だに昭和的発想でファンタジーを語る時代錯誤がこの国の

情報空間を歪めている。


●『縮みの文化』の再発見


 コロナ禍の中、少しずつではあるけれどニューモデルの試乗記が誌面やウェ

ブサイトに載るようになってきた。しかし、その語り口は相変わらずの昭和調

に留まっている。語られる高性能は、現実からかけ離れたファンタジックな走

行パターンであり速度領域の世界がほとんど。相変わらずパワフルであること

が評価を高めるポイントだし、レスポンスは鋭いことを良しとする。


 そもそも、世界的な流行だからといって諸手を挙げてSUVとカテゴライズ

される形態のクルマを良しとしたり、ドイツ勢の超高性能かつ高価格のクルマ

との対比でフェイズの異なる日本車を語ることの不条理を一考だにしない。


 日本車は、全生産の8割方を海外市場向けとしている。国内の500万台プラ

スの年間販売台数は、以前として中国・米国に次ぐ世界第三位の市場だが、そ

の内訳は40%近くが軽自動車であり、残る300万台ほどの5割をトヨタが占

め、そのまた残りをその他で分け合っている。この現実にきちんと向き合うこ

となく評価評論を展開することはできないだろう。


 前号でダイハツのニューモデルのタフト(TAFT)を例に軽自動車にアプロー

チしたが、こと走りのパフォーマンスという視点で言えば「軽でいい……では

なくて、軽自動車がいい」と断言できるレベルとクォリティに仕上がってい

る。かつてソニーの『ウォークマン』が世界的ヒットを生んだ"最小限のサイ

ズで最大の価値の創造"というムーブメントは、変化の激しい環境を生き抜い

てきた日本人ならではの自然観に根差しているようだ。


  残念ながら軽自動車は自然環境から生まれた必然の規格ではない。当初は国

民車構想に基づいて最少サイズで一家4人が移動できることを目指し、技術の

進歩とともに順次スケールアップされる過程を踏んだ。


 ホンダN360の登場をライブ感覚で知る。空冷4サイクル2気筒を横置き搭

載するFF2ボックスの新機軸は、水冷2サイクル2気筒のダイハツフェロー

MAXや同3気筒でRRレイアウトのスズキフロンテクーペSSにスバル360

(R2)、少し遅れて三菱ミニカなどといった競合ライバルとの熾烈なパワー

ゲームに晒されながらも”ブーム”の中核を占めた。


 1967年のデビュー当時の軽自動車枠は全長3m、全幅1.3m、排気量360cc以下

という今見るとビックリするほど小さい。全長で400mm、全幅で180mm、

排気量で300ccも増大した現行規格(1998年改正)と比べると32年の歳月を感

じるが、現在はその改正からすでに22年が経過している。


  元々日本には昭和末年(1989年)まで主流をなしていた5ナンバー枠(全長4.7m、

全幅1.7m、排気量2000cc以下)があり、それとの相対関係で軽自動車枠が規定

されてきた経緯がある。衝突安全や排ガス対策強化といった時代の流れととも

に軽自動車枠は緩和の方向となったが、運輸省・通産省・警察庁(公安委員会)

さらには大蔵省といった許認可権を握る所轄官庁という行政官僚機構が互いに

綱引きを演じながら国内市場という狭い島国の枠組みに押し止めている。


●コンパクトSUVは日本オリジン。今は逆輸入状態に他ならない


  軽自動車は、今や税法の枠組みとして存在する国内限定のドメスティックな

商品でしかなく、国内年間販売台数の40%近いシェアを占めている。今世紀に

入って日本車のグローバル化が鮮明となる一方で、現行規格の軽自動車は技術

の進歩の恩恵を受けておよそ国内の交通法規の下では上級の登録車と何ら遜色

ない実力を身に付けてしまった。


  ことにリーマンショック後の過去10年間(2010年代)の一向に改善されないデ

フレ経済下では、半世紀に渡ってほとんど改正されなかった道路交通法規の法

定最高速度にみられるように走りのパフォーマンスにおいて軽自動車が見劣り

することもない。少子高齢化が進む中ユーザーの40%が60歳以上だったり女性

ユーザーが65%を占めるというデータからみても必要十分なモビリティツール

として受け止められていることが分かる。


  そして、そのような人口動態の流れと前例主義の前に社会の変化に伴う制度

のアップデートを怠りがちな行政官僚機構による世界の潮流に後れを取る施策

が合わさって、クルマ離れや移動を楽しむ自動車旅行の衰退トレンドとなって

日本社会全体から活力を奪う結果となっている。


  日本人の多くが世界の国々の現実を身を以て知り、極東の島国で繰り広げら

れている暮らしは必ずしも世界のスタンダードではないと分かれば救いもある

が、パスポート保有率が25%という低率に留まる一方でTVの情報番組が伝え

る世界情勢で”知っているつもり”になっている大多数は疑うことを知らない。


 昨年来の新型コロナ(COVID-19)パンデミック禍によって世界経済はリーマ

ンショックを超えて20世紀初頭の世界恐慌並の混乱が必至といわれている。自

動車販売は軒並み低迷し、窮地に陥る国内外のメーカーも少なくないとされ

る。


  日本の自動車産業は2017年に2900万台を数える世界シェアを記録して以来暫

減傾向が続き、2019年は2780万台まで落ち込んだが、それでも国内販売の4倍

強という一国としては圧倒的といえるグローバル販売シェアを占めている。現

実問題として国内市場は全海外市場での販売台数の20%を下回る規模であり、

国内視点だけで日本の自動車産業を理解しようとすることは本質をまったく見

ないことに等しい。


 はたして現在の日本車に日本の走行環境や自然風土に根差したオリジナリテ

ィはあるだろうか。相も変わらずドイツを始めとする西欧メーカーのキャッチ

アップに没頭し、最大の自由市場アメリカでのマーケティングやブランディン

グの成果を”逆輸入”の形で受け入れている。


 その最たるものがSUV。元来アメリカで圧倒的な存在感を示すピックアッ

プトラック発祥のカテゴリーで、そのアイデアを日本流アレンジで小型SUV

として再構築したものが世界的なブームの発端。過去25年の歴史の中で再び主

力市場のアメリカの価値観で進化の過程を踏み、オリジナルといえるトヨタの

RAV4やホンダCR-Vの初期モデルのスケールから大幅なサイズアップで

現在に至っている。


●やがて整備新幹線などの公共交通機関の需要減で尻すぼみになる?


 日本におけるSUV人気は典型的な逆輸入パターンであり、世界のトレンド

として知っているつもり系のノリでブームの波に乗る安心感を得ているユーザ

ーがほとんどだろうが、公平に見てそれら国際商品化したSUVは過剰性の塊

であり、SDG's(Sastainable Development Goal's=持続可能な開発)が世界

的なテーマとなっている現実からはほど遠い形態という他ない。


  近代発祥の西欧は、これまでの行き掛かりから右肩上がりの成長を諦めるこ

とができず、クルマの評価も高速性能を指標に置いた高性能や快適性のための

大型化や高価格高級路線で優位性をアピールする姿勢を保ち続けている。


  一方でSDG'sを言いながら、相反する多消費型の矛盾を止めることなく上

を見続けている。西欧には日本的な自然観は存在せず、力ずくで押し通すこと

を忘れられない。近代化の価値観を改めないかぎりゴールは遠ざかるばかり。

ウォークマンの経験で強い意志で臨めば世界は変ることを知っているはずなの

だが、失敗のリスクを取って"これが日本流"だと世界にアピールするセンスの

持主が日の目を見ない状況にある。官主導で動く日本社会最大の問題点といえ

るが、今回のCOVID-19パンデミック禍は今まで通りには戻らない変革の予感

ある。


  モビリティはどうなるだろう。COVID-19感染拡大にともなう緊急事態宣言に

よって移動が自粛という形で制限され、通勤通学で朝晩にラッシュアワーを迎

えていた大都市圏の鉄道をはじめとする公共交通機関は軒並みガラガラ状態と

なった。飲食などの店舗の休業も相次ぎ、大企業を中心に通勤しないで自宅で

業務に従事するリモートワークが浸透した。


  密室空間で移動可能なクルマはパーソナルモビリティという本来の魅力が再

認識され、公共交通機関のように時間に合わせる必要のないランダムアクセス

性とともにその価値に対する気づきがあったはずだ。そもそも通信手段の発達

もあって都心のオフィスに通う時間的物理的経済的負担の無駄が認識された高

価は小さくない。生産性についても確認が取れたことも大きい。


  固定費が馬鹿にならない都心に大規模な社屋を持つことがテレワークが可能

な情報通信機器の発達が顕著になった時代にあっているかどうか。ことに大き

な震災が避けられない東京に拠点を構えるリスクは、持続可能な開発を求める

なら仕組みを考え直すきっかけとしても一考の余地がありそうだ。


  第32回東京オリンピックは開催中止となると見るのが自然というものだろ

う。COVID-19パンデミックがなければ同オリンピックは残り一週間を切った

佳境にあり、今見る景色とはまったく異なっていたはずだが、もはやそのこと

を意識して日々の暮らしを送っている人は稀であるに違いない。 


●キックスって、ゴーンロスの後ろめたさがありありではないか?


  ここに来て自粛ムードに覆われていた自動車産業界も少しずつ復旧の兆しが

見え、試乗会などのイベントを通じたリポートも目にするようになった。しか

し、語られるその内容は相変わらずという他ない。多くは私らが駆け出し時分

から試行錯誤で語り継いできた『昭和の試乗記』スタイルであり、語彙を含め

てアップデートされているとは思えない。


  そもそもベースがパブリシティであり、日本メーカー各社が申し合わせたよ

うにクロスオーバー型のSUV押しとなっていることへの疑問の声は聞かれな

い。COVID-19パンデミック禍は世界的な事象であり、海外市場依存度が80%

超える日本の自動車産業にとってはグローバル市場での状況の把握が最優先

れるところだが、従来通りの"試乗インプレッション" の語り口からそうし

状況の中にある現実感は伝わってこない。日本向けの相変わらずのお花畑の

ァンタジーでしかない東京発の情報が、多様な価値観が存在するこの国各地

ニーズに合うものか。


  走りのハードウェアの評価は、一見普遍性のある情報として理解されやすい

が、残念ながら日本中を走り回ってその多様性に富んだ走行環境や気象や地形

にともなう価値観を理解した上での話とは限らない。すでに昭和は平成の30年

を挟んで遠い彼方にある。少なくとも現在の50代半ばまでの現役世代は昭和の

発展途上段階を知ることなく、流儀だけは昭和風の"劣化コピー"であることを

自覚なしに報じている。


  時代の変化が明確になった以上、従来通りの自らのスタンスに情報を合わせ

て経験したこともない昭和の価値判断の真似をしてリポートと称していること

に畏れの感情を抱く必要がある。今週中に日産の新型SUV『キックス』を開

発者と差しで試乗する機会が用意されているが、パブリシティに沿った絶賛に

は身構えて接しようと思っている。日産の窮地は2018年11月19日のC.ゴーン

元会長の逮捕・起訴によって顕在化した。


 私見では日産の5年生存率は限りなくゼロに近いと考えているが、あのスキ

ャンダルが露顕した当時から今もなお口を閉ざしている同業者が、あたかも白

馬の王子のような立ち居振る舞いで窮地の日産の応援団に回っているのだとし

たら、無垢のユーザーや読者に対する背信行為でしかない。そもそも何故ここ

に来てブランニューなのか。日産には欧州でクロスオーバー型SUVのトレン

ドを作ったキャシュカイやジュークといったベストセラーが存在した。


 そのヘリテージを活かすことなく、新たにブランニューで勝負する。潔いと

いえばそうだが、日産はムラーノに始まる都市型クロスオーバーSUVのジャ

ンルでトレンドセッターとして実績を持つ先駆であり、デザインでシェアを手

に入れて市場を創造していた。ここでキックスという過去を清算して出直すと

いった意図が明白な企画を貫いたところに無駄と無理を感じる。


 すべては試乗してから明らかになることだが、乗って走る曲がる止まるのレ

ベルを抽象的に語るパターンしか見て取れない内容にするつもりはない。読者

や視聴者としては従来通りのスタイルの方が馴染みがあるし理解しやすいとい

う価値観を持つかもしれないが、そもそも今までの語り口で知っているつもり

になっていたことの怪しさに気づく必要がある。なにしろ、日本の道路交通法

に定める法定最高速度は依然として100km/hに留まっている。それを上回る速

度域での話をドラマチックに語られても、現実は変わらない。


●軽自動車で足りないのはデザイン的厚み。これに尽きる


  私の意見では、無謬原則とそれに基づく前例主義によって時代に合わせてア

ップデートするリスクを負わずにここまで来た行政官僚機構の怠惰を今こそ追

及すべきだと思う。北は北海道から九州沖縄までという、気候や地形といった

自然環境が別の国といえるほど異なる多様性の宝庫なのに、中央官庁による共

通の法律で選択の余地を与えていない。過疎の鳥取/島根県と過密の東京都を

一律の法律で抑えつけるなんて愚策の極みというほかはない。


 東京に居を構える霞が関の省庁(中央行政官僚機構)が、許認可権を背景に

した既得権益を楯に変化する世界情勢とは無関係の後進性にこの国を追いやっ

ている。今回の感染症拡大でも無為無策や情報の透明性の欠如が露になった

が、選挙で選ばれた訳でもない官僚が、長い歴史の積み重ねを持つ組織の論理

を楯に国民の公僕としての立場を忘れて省益や個人的な損得勘定に走ってい

る。


 国権の最高機関であり国民の代表として選ばれた議員や与党内閣の力不足も

あるが、許認可事業の自動車の場合所管省庁の権限の前にメーカーは積極的に

動けない。メディアの出番はここからあるはずだが、権力の構造を理解してた

だす相手を見ていない。ここから手を付けないと、末端のクルマの現状をいく

ら説いても問題の解決には至らない。


 すでに国内販売に占めるシェアからも明らかなように、日本の現行法に則す

るなら軽自動車が最適解となるのはまず間違いない。趣味や嗜好にこだわれる

経済的な余裕と環境に暮らす人なら話は別だが、こと走りのパフォーマンスで

判断するなら現行の軽自動車は必要かつ十分な資質を備えている。


 しかし忘れてならないのは軽自動車は税制の枠組みで作られた法制度の賜物

で、クルマの理想を追及した結果として生まれたものではない。40%に迫る高

い国内販売シェアを持ち、技術的にも日本の自動車産業の最先端を盛り込む余

地がある。であるなら、税制の枠組みから離れて国際商品に仕立てることこそ

が21世紀のクルマ作りではないだろうか。


 クルマの価値を左右する最大要件のデザインを魅力的にするディメンション

とミニマムサイズのバランスを取り、高い燃費性能と走りのデザインを練り込

んで”小さいけれど魅力的”と言わせるコンパクトカーの理想に迫る。全長は

現在の3.4mから最大で200mm程度、全幅は同じく1.48mから120mm程度まで

拡大して、総重量の大幅な増加を見ることなく排気量は800~1000cc辺りの自

然吸気とする。 


  すでに先日試乗したダイハツタフトでも明らかになったように、DNGA(Daiha

tsu New Gloval Architecture)の採用によって上級の登録車と変わらぬ商品的

魅力を身に付けている。ホンダのNシリーズでも顕著な傾向だが、従来の軽自

動車の概念で作られているのではなく、一般的な登録車を軽自動車の枠組みと

してあるディメンションで形作ったクルマというのが現在の軽自動車の実像と

いっていいだろう。


 リソースがここまで整っていて、しかもSDG'sという大きなテーマにもフ

ルコミットできるという可能性も含めて、法的枠組みにある規格を変えて世界

の評価を受けるべきところではないだろうか。消費燃料を従来の半分にしつつ

新たなデザイン的価値を付与する。新しいスモールカーが魅力的な存在として

世界中で受け入れられるタイミングとして、今ほど条件の整った環境はないと

思う。                                

                                   

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 まぐまぐ!メルマガ『クルマの心』第391号2020.7.28再録 。

有料講読(880円/月:税込)は下記へ。

https://www.mag2.com/m/0001538851 

スマホは画面を横にしてお読みください。縦だと段落がズレます。


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           伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』 

             第391号2020.7.28配信分



●N360以来の軽自動車贔屓。かつての私有車にフロンテクーペありなのだ


 久しぶりに日本の自動車メーカーの報道試乗会に参加してきた。ダイハツの

TAFT(タフト) 。完全子会社化したトヨタのスモール部門ダイハツがコロナ禍

で沈んでいる最中に発表に踏み切った軽自動車のフルモデルチェンジで、流行

のSUVテイストでまとめられている。


  WEB上で写真を一瞥しただけで「これはアリかも……」と思わせた。クルマ

にとってfirst coneactはとても大事だ。サムネイルサイズの小さな写真でも

目に留まる輝きを持つこと。スタイリング/プロポーションといったデザイン

要件は、クルマの商品価値の中でも最重要となる魅力の根源だ。好みは十人十

色で様々あって構わないが、優れたデザインには共通する華があるものだ。


 考えてみると、日本の専売カテゴリーといえる軽自動車は、世界に通用する

共通の価値観とは異なる特異な存在といえる。全長3.4m、全幅1.48m、全高2m

以下という3ディメンションで、エンジン排気量は660cc未満という制限規定。

元々、現代的な軽自動車は1967年のホンダN360の大ヒットに始まり、スズキ

のフロンテやダイハツフェローMAXなどが鎬を削りあった全長3m、全幅

1.3m、全高2m、排気量360cc以下という第一次軽自動車ブーム時代の延長線

上にある。


  時代背景としては、1966年(昭和41年)と記憶される『モータリゼーション元

年』と相前後したタイミングだった。私事で言えば、1968年が16歳で軽自動車

免許が取得できた最終年(9月)であり、家業が酒屋や米屋の同級生が競い合う

ようにしてN360ツーリングSを買い求めた鮮烈な想い出がある。


  以来、スズキアルトやダイハツミラといったボンバンタイプ(貨物軽自動車)

がアルトの47万円という低価格設定や諸経費の安さ低維持費を理由に注目され

た時代(1975年)の全長3.2m、全幅1.4m、全高2m、排気量550cc以下。やはりス

ズキがトールワゴンという新境地を開いたワゴンRの登場を促した全長3.3m、

全幅1.4m、高さ2m、排気量660ccへの規格改定(1990年)、そして現行規格とな

る全長3.4m、全幅1.48m、全高2.0m、排気量660cc(1998年)とつながる。


  全長、全幅のスケールアップは年々注目度を増した衝突安全に対応して成さ

れたものだし、排気量660ccへの流れはそれに伴う重量増を考慮したもの。と

はいえ、最後の規格改定からすでに22年が経過している。この間の技術の進歩

は当然のことながら軽自動車にもハード/ソフト両面で活かされた。2000年に

は高速道路での法定最高速度が80から100km/hへと登録車と同じになっている。


●ハードとしての軽自動車は世界的な商品になる可能性を秘めている


  まるで低い天井に成長著しい若者の背が伸びて頭が届くかのような事態だが、

世界の潮流とはかけ離れた価値判断を持つ政府行政官僚機構は自らリスクを負

わない無謬原則に基づく前例主義を一貫して保ち続けている。


  国内の道路交通法に照らせば、頭を抑えつけられた登録車が下克上よろしく

年々技術の蓄積を高めてレベルアップする軽自動車に追い詰められるのは道理

という他はない。過剰性の海で溺れかけている国内使用環境における登録車

は、軽の上位に位置しながらその優位性を走りのパフォーマンスで示すことが

叶わない。1962年の法改正以来半世紀以上、58年間1km/hたりとも引き上げ

られることなく、世界的な評価を受ける日本車の実力を自国民たる日本人がそ

の恩恵を享受できないままに据え置いている。


 同調圧力の激しい日本では、お上に逆らって和を乱す者は異端扱いされやす

いが、グローバルで評価されている日本車の実力を法の下で不当に制限を加え

ることの”ことなかれ体質”は率直に指弾されていい。過剰に安全性を求める

昨今の風潮は、欧州やアメリカでの道路交通を経験した者としては何とも歯痒

い。本来得ることが出来た自動車モビリティによる豊かさの実感を大幅に制限

されていただけでなく、およそスムーズなモビリティを享受するのとは真逆の

速度超過で罰金/反則金を徴収するなど、まるでクルマを所有/使用すること

が悪であるかのような行政が延々と続いている。


 現実を疑うところからイノベーションは生まれるという。本音と建前を使い

分けて、現在の日本車の実力を持ってすれば普通に走ればそれこそ誰でも違反

を犯してしまうような不思議な道路交通法制が放置され続けている。そこに所

管の省庁の許認可権につながる既得権益の存在を疑わない方がどうかしてい

る。


 ことほどさように、というところだが、日本以外にはほとんど市場性を持た

ない軽自動車が、年間自動車販売シェアで40%前後を占めている現実の危うさ

を語るメディアの少なさに日本におけるジャーナリズムの不在が顕著に表れて

いる。既存の自動車メディアが、商業ジャーナリズムの立場から自動車産業寄

りのポジションを取ることは理解できないではない。


 しかし、出版メディア不況を背景にした企業や行政のパブリシティの垂れ流

しに甘んじ、自らのサバイバルのためにそれらの情報を合わせようとする姿勢

を続けることはもはや限界だろう。目をグローバルに拡げて、国際競争に勝ち

抜くことなしにこれまでのような繁栄は二度と戻っては来ない。


 今まで通りでことが進むと思うのは勝手だが、日本だけが世界の自動車供給

の30%近くを維持できたのは仕向け地に徹底的に適合するクルマ作りに徹した

から。そこには日本国内で醸成された文化的土壌を背景とした日本車らしさは

なく、日本人の知らない日本車が世界中で高く評価されているにすぎない。


 要するに、現在国内販売されているクルマの少なくとも4倍以上(約2000万

台)は、日本における価値観とはまったく異なる次元の、日本人的発想とは相

容れないところで評価されている。


●日本人のほとんどが、世界は今ある日本の現実と同じだと思っている


 なにしろ、日本ではクルマが走る前提となる道路交通法の根幹を成す(と敢

えて言ってしまうが)法定最高速度が半世紀以上にわたって低く抑えつけられ

る中、バブル期までは国内販売と貿易輸出が拮抗(ピークの1990年には国内販

売台数は史上最高の777万台を記録。国内総生産台数は約1350万台。海外生

産台数は約330万台)していたが、ポストバブルの国内市場収縮(約500万台前

後)によって国内/国外の生産及び販売台数は大きく逆転。生産は最大で1対

2、販売に至っては同1対4強と圧倒的に海外市場優位となっている。


 しかも、国内販売に目を向けると、使用環境における道交法などの法規制の

停滞により登録車(普通車)の届出車(軽自動車)優位性がほとんど消失し、

2008年に顕在化した人口減少に伴う少子高齢化などの要素も加わって、2014年

には全自動車販売における軽自動車のシェアは40.9%まで拡大した。この年に

行なわれた消費税増税(5→8%)や翌年度から実施された軽自動車税の増税

(7200→1万800円)に対する先食いもあったとはいえ、全販売台数約556万

台の内約227万台をほとんど日本以外に市場性を見込めないKカーが占めた。


 要するに、日本人が日々の暮らしで見ている光景は、軽自動車が存在しない

この島国以外の国々には存在しない。その意味で特別な状況の下で自動車メデ

ィアは情報を展開しているわけだが、目の前にある現実が世界中の国々でもほ

とんど変わらないだろうと考えるのが国籍に関わらず人情というものだろう。


 多くの場合、雑誌を中心とすく出版メディアは東京に集中している。当然そ

の守備範囲(せいぜい首都圏)まわりの現実が情報の核となる。このことは後

で触れることになるが、首都圏や中京、阪神といった大都市圏とその他の地方

では根本的に状況が異なる。公共交通機関の整備が行き届かない地域の現実は

クルマを所有する必要性が希薄になるほど移動手段が完備した大都市圏のそれ

とは別の国ほどの違いが存在しているのだが、そのことを情報として取り扱う

自動車メディアはほぼ皆無といえる。


 東京の現実が日本全国に共通するリアルであるかのようなギャップが、必ず

しも狭くて小さな島国とは言えないこの国に暮らす人々から世界中に多様な価

値観が存在する事実を背けさせている。


 すでに21世紀に入ってふたつのディケードが過ぎて、軽自動車が現行の規格

で開発が続けられて20年以上の技術の蓄積を手に入れている。世界を制した日

本の自動車産業の実力の一端は間違いなく軽自動車にも手厚く注がれている。


●走り出して1分もしないで、「これは良い」と直観した


 さてダイハツ・タフト(TAFT)である。形態としてはスズキワゴンRによっ

て開かれたトールワゴンの系譜であり、直近ではホンダのN-BOX、ダイハツタ

ント、スズキスペーシアなどと一脈を通じる。限りある軽枠を最大限に活用し

て、スクエアな直線基調に巧みに表情を加え、軽妙なタッチでSUV感覚を盛

り込んでいる。


 仕上がり具合としては、ホンダがN-BOXに連なる新世代軽自動車で試みた流

儀に沿う。すなわち、従来からの軽自動車の常識に囚われることなく、登録車

(普通車)を軽自動車のスケールで作り上げた仕立てとなっている。


 これは昨今の軽自動車全般に共通することだと思うが、もはやかつての軽自

動車のような利幅の少ない薄利多売で採算を見込むようなビジネスモデルなど

ではなく、十分に儲かる小さなフツーのクルマと化している。


 そのことは値付けを見ても明らかだろう。メーカー希望小売価格を見ると最

上級のGターボ4WDが1,732,000円、G(NA)2WDが1,485,000円、ベーシック

なX2WDが1,353,000円(いずれも2WDと4WDの価格差は12万6500円)と、

1975年のスズキアルト47万円とは正に隔世の感がある。ADAS(運転支援シス

テム)や情報周辺技術の採用によって高コスト化したとはいえ、値付けにかつて

のお気軽軽自動車の雰囲気はない。


  内外装の仕立てやデザイン/テクスチャーに掛けるコストはBセグメントの

登録車と何ら変るところはない。むしろ、購買層が年季を積んだ高齢者だった

り、メカニズムには疎い反面テクスチャーという感覚的な商品性にこだわる女

性がメインカスタマーだったりすることを考えると、現実的な要求水準は思う

以上に高いということなのだろう。


 そのことは今回の試乗の際に配布された『軽自動車の役割と貢献』と題され

た広報渉外室政策の資料にも明示されていた。


 まず第一に軽自動車は地方の貴重な交通手段として活躍している、とある。

今や地方における軽自動車は公共の乗り物であり、鳥取、佐賀、長野、島根、

山形といった軽自動車の世帯あたり普及台数の上位自治体と東京、神奈川、大

阪、埼玉、千葉といった普及下位自治体の対比からも明らかだという。


 たとえ東京都であっても、公共交通機関が充実した23区やその周辺市部と東

大和、武蔵村山、あきる野、羽村、青梅の各市や西多摩郡の奥多摩・日の出・

瑞穂町や島嶼部での軽依存率は歴然としている。


 また軽自動車ユーザーの65%という高い比率で女性が占め(乗用車全体では

48%)、主運転者が60歳以上である比率も40%(乗用車全体では32%)に達す

る。さらにAEB(衝突被害軽減ブレーキシステム)も2019年度で92%の装備

を達成していて、政府目標を1年前倒しでクリアしたという。


●軽自動車でいい……ではなく、これが良いと思えるクルマ。


 つまり、従来は明確に存在した軽自動車と普通小型車の商品性に関する格差

はほぼ消失しており、軽自動車が持つコンパクトさや維持経費の軽さが額面通

りのメリットとして受け取れるようになっている。


 と、ここまで来ると、警察・公安委員会が許認可権にこだわって国内でしか

通用しないコンパクトサイズに留めたり、シェアの増大にともなう登録車から

の税収の目減りを補う自動車税の引き上げなど、行政官僚機構にありがちな内

向きの対応による時代錯誤は早急に解消される必要を感じる。


 軽枠という国内でしか通用しない窮屈な規格に押し止めて、権限の及ぶ範囲

を維持し続けようとしている。そうとしか思えない実情と唯々諾々と従ってい

る”お上”意識の強い「皆と一緒ならそれでいい」と考える国民性。これはも

う変えてアップデートさせないと、気がついたら世界最後進国にならないとも

限らない。


 クルマの仕上がり? これはもう激化する軽自動車のシェア争いを目の当た

りにしているような力の入りようを感じる。直線基調のスクエアデザインは、

ディメンション的に制約の多い軽自動車の現実を逆手に取って、潔く機能性重

視に振った上での切れ味の良さがある。


 クロスオーバー的なアプローチは、ジムニーやハスラーなどキャラクターの

濃いSUVバリエーションを有するスズキ勢や都会的センスのハイトワゴンや

S660のような独自路線を行くホンダとは違う、いい意味での関西趣味。ほん

の小さな画像で”いいかも”と思わせるセンスは他ブランドとは明かに異質だ。


 感心したのは、室内の居心地の良さだった。ドアを開けてシートに収まる。

ごくありふれた動作だが、シートの十分なサイズがもたらす安心感はちょっと

した驚きだ。全幅は1480mmと限られていて、室内幅も他の軽自動車同様十分

とは言えないが、ガラスルーフを配してもなお十分な室内高と外形デザインか

らすると意外なキャブフォワードによるAピラー/カウルトップの前進が奏功

して窮屈な印象を排している。


 ステアリングホイールやシートクッションが生む剛性感といったテクスチャ

ー回りに掛けたエネルギーも中々で、昨今のKカーに共通する軽自動車という

ボトムカテゴリーに乗っているという劣情はほとんど湧き上がらない。ドライ

ビングインターフェイスはメーターナセル、大型モニター、セレクターレバー

を配したセンタークラスターのレイアウトによって巧みに上級感を演出する。


 これに加えて、必要十分といえる動力性能が後押しをする。まずは660cc自

然吸気の3気筒12バルブDOHCは52ps(38kW)、6.1kgm(60Nm)のGグレードを

試したが、私としてはこれで不足は感じない。CVTとの組合せに限られてお

り、その走りの好みには賛否あるだろうが、現代的な都市型の使用パターンに

おいては余程の過酷な地理的ロケーションでないかぎり不都合はないはずだ。


  このタフトにはDNGA(ダイハツ・ニューグローバル・アーキテクチャー)と称

される新しいプラットフォームが採用されている。トヨタのTNGAで培われた

ノウハウが活きたものに違いないが、パブリシティはともかく乗って走って操

る中で感じる確かな手応えは、率直に認めていい。従来の軽自動車とはひと味

違うタッチ。それがテクスチャー(手触り)として感じられたというのが本当の

ところだろう。


  次いでGターボ(NAとも2WD)を試したが、基本的にはノンターボとの違いは

大きくない。スロットルを大きく開けた際のトルクの厚みは64ps(47kW)、10.2

kgm(100Nm)に相応しいものがあって、最大トルク発生回転数がNA・ターボと

もに3600rpmという条件を考えると歴然という評価になるかもしれないが、

CVTにありがちな回転上昇の軽さとNAのトルク感の掛合わせが、これはこれ

で良いのでは……と思わせる。


  DNGAによる車両重量はNA、ターボそれぞれ830、840kg。登録車とスピード

を競い合いたいと思うなら話は別だが、ターゲットユーザーたる女性や高齢者

層の価値観にはむしろNAのほうが合うはずだ。高速道路でも法定最高速度+20

km/h辺りまでの巡航ならNAでも不足はない。ともすると、西欧近代の価値観

に染まって300km/h超のスピードをベースに序列を敷こうとするメンタリティ

から離れられない評価者が依然として少なくないが、ファンタジーをベースに

リアルワールドでの評価を語るのは健全ではない。


  誰が乗るのかを考えない評価で己の価値観を押しつけるのは経験不足から来

る未熟と知る必要がある。まだ経験の浅い若気の至りであるならば、それは誰

でも一度は罹る通過儀礼なので悪いとは言わないが、40、50のいい年をして若

ぶるほど無粋なものもない。60過ぎてなお枯れることも出来ずにトータルな世

代間評価も出来ないようでは、いつまで経っても日本車の成熟は訪れない。


  以て銘ずべし。クルマに乗るのは10代から個人差のある最高齢領域までまち

まちであり様々だ。歳を取らないと永遠に知り得ない世界がある。それに気が

ついた時に始めて、若さの魅力と価値が分かる。人のプロセスを通じて語れる

自動車ジャーナリストが何代か巡った末に、クルマ文化が成熟していく。そう

いうことではないだろうか。 


  今私が注目している(余裕があったら買いたいと思う)軽自動車を列記してお

こう。スズキジムニー、ホンダN-ONE(この秋デビューと噂される新型の6MTモ

デル)、ホンダN-VAN、ダイハツTAFT(燃費性能も加味してNAモデル)。以上


  デザイン、コンセプトに輝きがあり、独自の世界観を有している。日本車の

中でその気にさせる登録車はそんなに多くはない。

                                   

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